「ここが天翔(てんしょう)様って奴の家ね。随分大層な字(あざな)を付けられたもんだよ」

字は本名とは別の名前。特に貴族や陰陽師は字を使うことが多い。

何故なら、力あるものなら、本名を知れば相手のことは大体のことは分かるからね。

いや、分かるだけならまだ良いけど、場合によっては意のままに操ることも出来る。

それがなにより厄介だね。

貴族の姫君ってのも、親や夫以外に本名は明かしちゃいけない決まりだ。

勿論、僕の名前も字だけど、僕は本名よりもこの名の方が気に入ってる。

「綺麗なお屋敷だね」

使いの人間に案内されながら、雪花は呟く。

雪花は本名で、不思議なことにその本名の方を知っても、僕は雪花のことを知ることが出来なかった。

仏界や神界に属する者である筈にも関わらずね。

元々無条件で魔を祓う力が備わっているせいなのか、それとも、他に何か理由があるのか……。

「こちらでございます」

案内された部屋の中には、細々とした妖魔が彷徨いていた。

けれども、それは一瞬のことで、奴等は雪花の姿を見つけるなり、煙のように姿を消した。

畳式の部屋の中には、御簾があり、その奥で恐らく姫様とやらが眠っているんだろうね。

貴族の娘は、名前だけでなく、人前に顔を出しちゃいけない決まりだから。

ま、こっちもわざわざ女の顔なんて見たくないから、丁度良いけどね。

「桃矢様!」

部屋に駆け込むようにやって来たのは、この屋敷の主。

その身なりを見れば誰でも分かるだろうね。

て言うか、派手な着物をおっさんが着ても目に痛いんだけど。

丸々肥えてるし。

「桃矢様!……いえ、桃ノ宮久世(とうのみやくぜ)様とお呼びすべきでしょうか?……お願いです。娘をお助けください!」

「……悪いけど、そっちの名前はもう名乗れないから『桃矢』の方で呼んでくれる?僕はどこにも属していないんだから」

桃ノ宮久世って言うのは、僕が陰陽寮(おんようりょう)にいた頃の字。

僕に陰陽師としての才能を見いだした人が付けた字だけど、長いから好きじゃない。

それに、あの人は適当に付けたらしいしね。

「これは失礼を。……桃矢様。どうか、どうか!娘をお助けください!」

頭を畳へ擦り付けながら、天翔は僕に頭を下げた。