「……こんな夜中に抜け出したことがバレたら、おっ父さんに怒られるわ」

明かりの無い真っ暗な夜道を、一人の影が走り抜ける。

夜はものの怪達の世界とも言われているので、夜に外を彷徨くのは危険だった。

たが、それでも構うものかと走り続ける。

(あたいはあの人のお嫁になると決めたの)

見ず知らずの男に夜這いをかけられ、あげくその男の子供など身籠ろうものなら、自分はもう生きていけない。

好きでもない男の子供など欲しくもないし、出来てしまってから結婚するなんてまっぴらだ。

(ああ……この世は本当に不公平だ)

女は無力で、生まれた時から子を育てる揺りかごを、体の中に入れられ、痛みにあえぎながら子を生む。

そして、子を生むしか能がないと、男は女を馬鹿にするのだ。

どうして女ばかりが苦労をしなければいけないのだろう?

命懸けで子を産み、今度はその子供を育てることに全てをかける。

その間、男は何も手伝ってはくれない。

何て不公平なのだ。

そんな不平不満をたっぷり持ち合わせながら、女は走り続けた。

愛しい人の言葉を信じて。

『一緒に逃げよう。そなただけを私は愛そう』

単なる庶民である自分に、貴族である彼は言ったのだ。

全てを捨てて、自分と生きると。

(あたいは幸せを掴むのよ!……あら?)

夜道を走っていると、大通りに誰かがポツンと突っ立っているのが見えた。

役人だろうか?

それなら見付かったら厄介だ。

けれども、隠れられる所なんて無いし、近道も出来ない。

何とか言い訳を考えなければ。

そう思いながら人影に近付くと、女は何故か足を止めた。

月明かりから照らされたのは、艶やかな黒い髪に透き通るような白い肌。

ゾクリとするような美しさを持った、女性のような青年。

一目見たその瞬間、引き込まれるような感覚。

「あ……貴方様は……」

女の質問に答えず、男は女に手を差し出すと、薄く微笑む。

「おいで」

「……」

何故、その手を取ってしまったのか。

女の頭の中をいっぱいにしていた男の姿が、目の前の男に塗り替えられる。

男に抱き締められ、うっとりと女は目を細めた。

その次の瞬間―。

「……え?」

何が起きたのか分からない。

だが、いつの間にか空高く舞い上がり、気付いた時には目の前が真っ赤に染まっていた。

『ヒ……ヒヒヒ!』

遠のく意識の中、薄気味悪い笑い声だけが何時までも残っていたのだった。