それからすぐにテストが始まって、終わって、もうすぐ夏休みが始まる。

 朝顔の芽はあっという間に蔓をのばし、青い花を咲かせた。

 最近は学校が終わると、津田くんと一緒に花壇まで降りていくのが、毎日の日課になっている。

「夏休みは、朝顔はどうするの?」

「学校の技術員さんに、世話を頼めるんだって。だけど、何回かは生徒会総務で学校に来ないといけないし、登校日とか、公園掃除もあるから、その時には、ちょこちょこのぞきに来るつもり」

 彼は私が記録をつけるのを見届けてから、自分の部活へと向かう。

「じゃ、またね、バスケ、頑張って」

「おう、お疲れさま」

 彼と分かれた後、私は一人、正門の方へ向かって歩き始めた。

「小山」

 目の前に、市ノ瀬くんが立っていた。手に何か紙を持っている。

「夏休み中の、公園掃除の当番希望表だけど、お前どうした?」

「まだ出してない」

 本当は、市ノ瀬くんと合わせたいと私も思っていた、でも、そんなことを自分から言い出すのも恥ずかしかったし、あんなことがあった後で、変に思われたくないから、言えずにいた。

「一緒にしてくれると、助かるんだけど」

 彼は横を向いて、そんなことを言う。

 締め切りの、ギリギリまで待って相談しようかと思ってた、彼の方から、言ってきてくれて、よかった。

「その方が便利だもんね」

 彼にしてみれば、部活の忙しい日に設定して、私に頼めば行かなくても済むわけだし、私にしても、市ノ瀬くんは部活でしょっちゅう学校に来ているのだから、どうしても行けない日には休める。

「便利とか、思ってねーし」

 彼はポケットから、もう一枚別の紙を取り出した。

「上川先輩から、一緒に出しといてって頼まれたんだけど、見る?」

 それは、先輩の当番希望表だった。

 私は、先輩が自分で書いた自分の名前の文字を、初めて見た。少し斜めに傾いた、シャープな筆跡だった。

「見る」

 私たちは、木陰に移動した。

 彼はサッカー部の予定表と、上川先輩の当番表をつき合わせて、色々と私に説明してくれる。私はそんな彼の忠告に従って、自分の希望表を埋めていく。

「ついでに、これもやるよ」

 彼が差し出したのは、部員だけに配られる、夏休みの活動予定と、練習メニューの一覧表だった。

「掃除当番の希望表も、ついでに出しといて」

 そう言って、三人分の用紙を私に押しつけると、彼は振り向きもせずグラウンドへ走っていった。

 A4の紙たった3枚が、こんなに重たいと感じたのは初めてだ。

 私は、このまま校舎に戻って、生徒会室に提出しに行かなくちゃならないのかな? 何で私が? なにやってんだろ。

 どうして上川先輩の分まで、私が提出しなきゃならないんだろう、変に思われないかな「あれー、どうして持ってんの?」とか、淸水さんに言われたら、何て返事したらいいんだろう。

 だけど、受け取ってしまったものは、仕方がない、私には、生徒会室へと向かわなくてはならない義務が、出来てしまったのだから。

 ドアを開けると、そこにはいつものように立木先輩と淸水さんと、仲良しの執行部がたむろしていた。

「あ、志保ちゃん、いらっしゃい」

 にっこりと笑って出迎えてくれるのは、いつも立木先輩だけだ。

 私は、彼に紙を差し出した。

「三人分? ありがと」

 先輩は、それぞれ提出者の名前を確認する。

 チェック表に印をつけて、その内容を確認して……、私は声をあげた。

「やっぱり、返してください!」

 机の上から、自分の分の当番表を奪い取る。

 こんなの、そのまま提出しちゃダメじゃない、調整するのは、本部の人たちなんだよ? 淸水さんも見るんだよ? 

 どうして私と市ノ瀬くんと上川先輩の希望が、全部都合良く一致してんの? 

 絶対おかしい、こんなの不自然きわまりないじゃない!

「消しゴム、貸してください」

 私は自分の希望を、一気に全部消した。

 あんまりゴシゴシこするものだから、紙の端が少し破れてしまった。

 それでも全部を消し去って、なんにもなくなった紙を見る。

 希望? そんなもの、自分にあるわけない。

 私は紙に、適当に◯をつけていった。どうしてもダメな日は×? 

 全部を×にするくらいなら、全部に〇をしてしまおう、その方が、多分きっとずっといい。

 私は夏休みの全ての日付に、◯をつけて返した。

「本当に、これでいいの?」

 立木先輩が、心配したように見上げる。

「はい、大丈夫です。私、基本暇なんで、それに、自分が植えたいってお願いした朝顔のことも気になるし、そちらで都合のいいときに、適当に入れてください、毎日でも大丈夫です」

 カッコのいいセリフを見つけるのは、私の得意中の得意技、変な誤解をされて、後でイヤな思いをするくらいなら、この方がいい。

「本当に? 本当に、君がそうしたいと思ってるんなら、それでいいんだけど」

 立木先輩は、差し出された書類を受け取った。

「こっちで、出てくる日は調節するね」

 一礼して、私は生徒会室を飛び出した。

飛び出したところで、上川先輩とぶつかった。

「うわ、びっくりした、どうした?」

「す、すみません」

 何て言おうか、どうしようか、ここで何か言っておかないと!

「市ノ瀬くんに頼まれて、先輩の掃除当番表も、一緒に出しておきました。二人とも、仲良しなんですね」

「あぁ、アレね」

 上川先輩は、ふっと息を吐いて顔を横に向ける。

「アレは市ノ瀬に見せろって、さんざん言われたんだよ、俺は全部サボってやろうと思ってたのに、なんだかんだ言って、アイツに全部書かされた」

 先輩は、思い出したように笑った。

「アイツ、なに企んでるんだろうな、面白いから、別にいいんだけど」

 彼は私とは目を合わさずに、どこか違う遠いところを見ている。

「あんだけ言っといて、市ノ瀬がサボりやがったら、絶対許さねーからな」

 上川先輩は、笑っていた。

私はそこから逃げ出す。

何よそれ、何だそれ、やっぱり、書き換えといてよかった、なんでそんな余計なことをするんだろう、もう市ノ瀬くんとは、何も話したくないし、関わりたくない。

 校舎を出ると、目の前に朝顔の花が広がっていた。そこには、市ノ瀬くんが立っていて、やっぱり勝手に水をやっている。

「紙、出してきた?」

「うん」

 私はぐいぐいと、水道の栓を閉める。

水やりはちゃんとこっちで管理してあげてるんだから、好き勝手適当に、知りもしないで、やらないでほしい。

彼の手から、ホースを取りあげる。彼は黙って、片付けを手伝った。

「これから部活?」

「うん」

「いってらっしゃい」

 私はそのまま彼に背を向けて、ネットに絡みついた朝顔の、しぼんだ花びらを摘み取る。

背伸びしても届かない花を、市ノ瀬くんが摘み取った。

「はい」

 そのしおれた花を、私の手の平に落とす。

「ありがと」

 彼は黙って、その花を見つめていた。

私は何をどうしていいのか分からなくて、同じように黙ってうつむいたまま、じっと彼が立ち去るのを待っている。

1秒でも早く、どこかに行ってほしい、そう思った瞬間、彼は花壇から出て行った。

 結局、配られた当番表は、市ノ瀬くんと上川先輩は、ほぼ希望通り一緒に当番に入っていて、私とは全く無関係な、違う組み合わせになっていた。

彼は何も言わなかった。