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 何かとてもいい香りがする。何の花の香りだろう? それに唇が温かい。まるで誰かとキスをしてるみたいな感じ――それもこわごわと遠慮がちだけど、時々押し付けてくる感じが洸に似てるような。

 もぅやだな、妹が言った通り、私ってば欲求不満なんだろうか。

 フッと目を開けると、そこにいたのはシルバーのアップ!

「#∴☆§/ξ!」

 ぱっちり目を見開く私に気付いてるハズなのに、相変わらず唇を合わせたままでいる。逃れようにも両肩をガッチリ掴まれているので、動かすことができずにいた。

 何で、シルバーがキスしてるんだろ? 一体全体、なんでなのぉ!?

 そう思った瞬間に口の中に小さくて丸いモノが、ツルッと入ってきた。反射的にコクンと飲み込む。

 それが合図のように唇を離した。丸いモノは喉の途中で止まり、びくともしない。

 喉元にそっと手をやる。息ができないことはなかったけど、首のまわりが内側からポカポカと温かくてとても気持ちが良かった。

「シルバー……あなた一体、何をしたの?」

 起き上がりながら改めてシルバーを見ると、あちこちボロボロ状態だった。左頬には刀で斬られたような、大きな傷ができていた。

(せっかくの綺麗な顔が……)

「男に対して、綺麗という形容詞を使うなと言ったはずだが?」

 いつものように文句を言う。相変わらず私の質問はスルーするところは、何だか久しぶりかもしれない。

「だって、勿体ないって思ったんだもん」

 しゅんとした私を、シルバーは何故か優しく見つめてきた。

「今のは大鎌で斬った傷を、死神の力で治しただけだ」

「傷なんて、なかったよ?」

「死神には見える傷だ、赤く光る輪ができていた。それも今は綺麗に塞がった」

 私の首筋を覗き込むようにチェックする。

「シルバー、判決はどうなったの? もしかしてその怪我は、私のせいで負ったんじゃ……」

 泣き出してしまいそうになった私を、洸がするみたいに頭を撫でる。優しくて温かい手のひらに、胸がじんとした。

「最期にどうしても、キサマに会いたかったからな。少しだけ、あっちで暴れてきただけだ」

 サイゴニ、アイタカッタ

「最期って、どういうこと?」

 ソンナカオヲ、スルナ

「死神の力を使うと、キサマには会えなくなる」

「もしかして死神の力って、人間でいえば命みたいなモノじゃないの? どうしてそんな大切な力を、私なんかのために使ったのよ?」

 頭を撫でていた手を、そっと右頬に移動させる。

「俺の力を使えば、キサマの寿命が延びる。そうすればヤツといつまでも、一緒にいられるだろう?」

「そんな……」

「ヤツと幸せになれ」

 オレノブンマデ、シアワセニ――

「俺は20数年前、ヤツの父親に頼まれた。落ちていく車を覗いていたら、窓から俺に向かって投げつけてきたんだ」

「洸を?」

「ああ、そしてこう言ったんだ。『神様、この子を助けて下さい。私の命は差し上げますから。どうかこの子を幸せに……』そのまま車は落下して爆発した」

「…………」

「俺はヤツを片手に持ちながら、爆発した車を見ていた。爆風でかぶってたフードが外れた時に、ヤツが俺にぎゅっと抱きついてきたんだ。父親を死なせた死神の俺に……。何だかやるせない気持ちになって、爆発する車から背を向けたときに、目の前に何かが見えたんだ」

 窓の外を見る目が、どこか切なそうに見える。

「俺はどうして自殺したのか……。300年前の記憶が断片的に見えた。望まれず生まれてきて、父親や兄から酷い虐待を受けていた。母親はいなかった。助けてくれる者は誰もいなくて、常に孤独だった」

「シルバー、もういいよ。つらい話なんか、思い出さなくてもいいって」

 泣きそうになりながら言うと目を細めて、ふわっと微笑む。

「誰かに聞いてほしいんだ。俺の過ちを」

「分かった……」

 シルバーの話す内容はとてもつらいものなのに、なんて穏やかな顔をしているんだろう。

「いくつのときだったか。ある日働いていた店の売り上げがなくなったんだ。父親と兄は俺のせいにして拷問した。あまりの酷さに逃げ出した。裸足で海の見える高台まで駆けた」

 段々と死に近付いていく話に、ゴクンと息を飲む。

「もう楽になりたいと思ったら、迷うことなく海に向かって飛び込んでいた。落ちていくときの空(くう)を切る感じ、海に叩きつけられる衝撃、溺れて逝く苦しさ……。ヤツを抱きしめながら、すべて思い出した。だが客観的に見て、気がついたことがある」

「気がついたこと?」

 頬を撫でられながら、首を傾げた。

「ああ。俺を助けようと差しのべていた、温かい手があったんだ。なのにすべてを憎み、拒んだ結果でこの姿になった」

「死神になったことを、後悔してるの?」

「俺の顔を見て悟れ、ど阿呆」

 いつもの台詞が出てきたので、つい笑ってしまった。やっぱりシルバーはこうでなきゃ。

「誰かのために命を棄てるなんて馬鹿だと思っていたが、ヤツを託されたときに感じた命の重さと温もりが、どうしても忘れられなかった。そんなときにキサマに出会った。躊躇なくヤツに寿命をうつし還す姿を見て重なった。ヤツの父親と――」

「シルバー……」

「憎しみしか知らない俺は、お前らの考えがはじめ理解できなかった。でも途中から妬ましく思えた。命を投げうってでも守りたいという人間がいるということに。それだけヤツが愛されているからだろう?」

「そうだね……。私は、洸を愛してる」

「だから神様に消されるくらいなら、キサマに俺の命を捧げてから逝きたいと思った。自分のためじゃなく誰かのために……」

 頬を触っていた手で、今度は髪を梳く。

「シルバーが人間だったときの名前は、何ていうの?」

「……そんなくだらないことを聞いて、どうする?」

 訝しげに聞くシルバーの顔が怖い。

「だって、もうすぐ逝っちゃうんでしょ。さよならするときくらい、本当の名前を呼んであげたいなって思って」

 シルバーの体を包み込むように、初めて会ったときに見た白くて眩しい光が輝いていた。

「キサマと同じ名だ。でも俺はシルバーと呼ばれた方が嬉しい。なぜなら」

「ん……?」

「千尋、キサマがつけてくれたから」

 白い光はシルバーをかき消すように、どんどん光を強くした。

 アリガトウ

 そう聞こえた瞬間、一気に元の部屋の暗さになった。

「シルバー……」

 最期にやっと、私の名前を呼んでくれたね。同じ名前だったから、わざと呼ばなかったのかな。

 シルバーが触っていた頬に、熱い涙がつたっていく。

 左手のひらを見てみると、きちんと手首まで生命線が延びていた。

「シルバー、アナタがくれた命を大切にするね」

 左手を、胸の前で強く握り締めた。

 外は朝日が昇ってきたのか、徐々に明るくなってきた。いつもの日常が、もうすぐ始まろうとしていた。