母子家庭で、更には授業参観も三者面談も来ない母親の元で生活していることを、当時副担任だったそいつは大きく気にしていた。
一年の頃から継続して俺を受け持っていた、ことなかれ主義な担任とは、真逆といっていいほど俺の家庭の事情に首を突っ込んできた。
最初は困ったことがあれば話せと言ってきて。
なにも言わずにいたら、児童相談所にありのままの現状を報告して解決への道を探そうなどと話を持ちかけてきた。
そうすれば良かったのかもしれない。
それが正解だったのかもしれない。
だけど、どうしても助けを求めたくはなかった。
不思議と逃げたいとも思わなかった。
ガキの頃はこんな家出ていってやると考えていたのに。
その当時だって出られるものなら出たいはずだったのに、どうか放っておいてくれと教師に懇願した。
クズでどうしようもない母親でも守ってやろうと思ったのか。
自分が惨めだと認めたくなかったのか。
意地になっていたのか。
そんな気持ちは今更考えたくも思い出したくもない。
一つ言えることは――たしかなことは
俺は、あのとき正当な救いの手を跳ね除けてしまったということだ。


