『帰るから! 待ってろ!』


 それがお父さんの声を聞いた最後だった。

 あの日、とても寒い日だった。地面が大きく揺れ、傾き、ひび割れ、そのあと海が唸りをあげた日。

 当時わたしは小学生だった。高学年になってから持たされていた子供用携帯にお父さんから電話があった。その前にお母さんの携帯にもあっことはあとから知ったことだ。

 電話があった時、わたしはまだ小学校にいた。校舎は高台にあるから津波の心配はなかった。お母さんは家にいた。家も津波の影響はない場所にある。

 血相を変えて迎えにきたお母さんと一緒に帰宅して、お父さんの帰りを待っていた。

 ずっと、待っていた。

 ラジオから『逃げてください! 海や河川に近付かないで』『もうすぐ暗くなります。気をしっかり持ってください』と避難者、被災者に呼びかけるアナウンサーの声が流れた。

 停電していたから、蝋燭に灯を灯し、冷えるから綿入れを着た。家の中なのに息が白い。わたしを抱きしめるお母さんの腕が震えていたのは寒さのせいだけじゃない。

『海岸にたくさんの御遺体があがっているとの情報があります』

『大規模な停電が広がっています』

『雪がちらつく夜で冷えますので、衣服があるかたは着こんでください』

『もうすぐ夜明けです。がんばってください』

 アナウンサーは一晩中、呼びかけていた。
 わたしに、お母さんに、その他大勢の被災者に。連絡が取れないお父さんに。

 励まし以外は、なんだか耳を通り抜けていった。

 この冷たい夜に、冷たい海水が、町を覆っているなんて考えたくない。お父さんが濡れているかもしれないなんて、信じられない。きっと高いところに避難しているはずなのだ。


 大災害になったということは、津波の被害がなく、ライフラインがわりと早く復旧したことで家のテレビが見られるようになってからだった。

 信じられない映像だった。
 映画か特撮かなにかなのか。

 防波堤を飛び越える波は真っ黒で、すべてを抉り取っていくように。悪魔の手みたいに、這って、追って、削って。奪った。

 そして、3日、4日。お父さんとは連絡が取れない。携帯が繋がらないし、会社へかけても誰も出ない。