いつの間にか、吐いた息がうっすらと白くなり夜空に消えて行く季節になっていた。今年の冬はやってくるのが早いことに、自分の息の白さを見て気がついた。
私達は、撮影後一度家に帰ってから、レイトショーを観に行き、鑑賞後に感情を共鳴させることにした。自分の心が一番動く瞬間はどんな時だろうと考えたら結果、やはり映画しか思いつかず、ハルを映画に誘った。
大好きなキサラギホールで待ち合わせて、ハルが観たいと言った映画を観る。
因みに今日観る映画は、いじめられた過去を持つ女の子と、いじめた過去を持つ男の子のお話らしい。
なんだか、福崎さんから怒りをぶつけられていた中学時代の過去を思い出してしまう設定で、正直あまり気乗りしていない。
こういった題材を観るのは問題ないのだけれど、観た後にハルと感情を共鳴すると思うと、昔のトラウマまで読み取られないか不安になる。

今のハルには、そんなこと知ってもらわなくたっていい。変に同情もされたくない。

「冬香、お待たせ」
「ハル、そんなコート持ってたっけ」
「叔父からもらった」
今の気温にはやや大げさな、温かそうなチャコールグレーのダッフルコートーを着たハルがやってきた。
そういえば私も、そんな色のダッフルコートを持っていたな。そんなことを思ったが、ハルが覚えているはずもないので言葉にはしなかった。
「じゃあ、入ろうか。今日ムトーいないって」
「そうなんだ。俺ら会員カードの元取り過ぎって怒られるから、ムトーいなくて良かったじゃん」
「はは、そうだね」
そう言って笑うと、ハルも少しだけ目を細めた。再開してからハルは無表情なことが多かったけれど、ごくたまに、こんなハルの笑顔を見られることがある。
昔のようにカラッとした明るい笑顔ではないけれど、今の落ち着いた優しい笑顔も嫌いじゃない。

赤い絨毯を踏みしめて、映画館の上映室に入ると、私達は沈黙した。
CM中も、一言も話さずに静かに大きなスクリーンを見つめる。

……映画が好きだ。映画は自分の心を豊かにしてくれる。自分の知らない、あるいは知っていたけれど気づいていなかった、そんな感情を掘り起こしてくれるから。そんなことを、映画館に来るたびに実感する。

私達は幼い頃から、映画を通して心を通わせてきた。映画が私達の心を繋いでくれていた。
同じものを観て感動して、心を震わせて、感じたことを言葉にして、想いを通じあわせてきた。
意見が合わない時も、ぴったり合致した時も、どちらも楽しかった。良い思い出だった。

だけど今のハルは、映画を観ても、どこか俯瞰で見てしまい、百パーセントの気持ちで感動できないと言う。
それが、一番悲しくて仕方ないと、ハルは笑って言ったんだ。
そんなハルの顔を思い出しているうちに、告知が終わり、本編が始まるブザーが鳴った。私は今日観る映画をしっかり胸にとめて、感じたことをハルに伝えるんだ。
そう思って、椅子に深く腰掛け直した。

……どれだけ集中して観ていただろうか。物語は、引っ込み思案でいじめられっ子な主人公が、過去のトラウマを吐き出すシーンまで進んだ。

『本当のことを言うと、皆が私を変な目で見る。自分の気持ちを言うと、誰かが笑う。それがどれだけ怖いか、知らないくせにっ……』

主人公が吐き出した言葉が、あまりに自分と等身大過ぎて、私は思わず耳を塞ぎたくなった。
自分の感情を剥き出しにし過ぎたせいで、ムトーを傷つけた過去。
本当のことを言ったからといって、必ず誰かを守れるわけじゃないってことを知ったあの日。
自分の正義と保身をぶつけたせいで、恥ずかしいほどに誰かを傷つけてきた。

色んなことを思い出してしまい、思わず途中退室してしまいそうなほど、辛くなってしまった。だけど、ハルに届けるまでそんなことはできないと、最後まで踏ん張ってその映画と向き合った。
エンディングが流れ、ブザーが鳴り、ライトが明るくなった途端、私は無意識に深く息を吐いてしまった。