ムトーの言葉にすぐに頷くことができなかったのは、きっとハルとの歴史が無くなった事実をまだ受け入れられていなかったから。

ムトーの言う通りだ。
もしかしたら、ハルにとって忘れたい記憶だから、消えてしまったのかもしれない。

それでも私は、あの日のことを謝りたかった。どうしても確認したいこともあった。
ハルのことを、もっともっと知りたかった。

「あのさ、昔の俺も今の俺も、同じ人間だよ。そう思って、また友達になれないかな」
複雑な顔をしていた私に、ハルがそう問いかけてきた。
同じ人間、という言葉に、一瞬どきりとしてしまった。私は過去のハルしかハルと認めていなかったんだろうか。
正直、今のハルを受け止めるには時間がかかりそうだけど、でも、ハルに会えた。
その事実だけを噛み締めてもいいんじゃないか。そんな風に少しだけ思えた。

「……うん、そうだね。ハルの話、沢山聞かせてもらえる? もう一度、友達になるために」
友達、というワードに、ずきりと胸が痛んだけれど仕方ない。
どんなことがあっても私を選ぶと言ったハルは、もうここにはいない。
「あ! ごめん私、違う飲み会誘われちゃった」
「え、本当に? 今から?」
スマホのメッセージを受信したムトーが、突然声を上げた。かなりアグレッシブなムトーは、夜な夜な飲み歩いていることは知っていたが、まさかこんな時間からも飲みに行くとは。
心配する間もなく、ムトーは大通りに駆け寄って、右手を挙げてタクシーを呼び止める。
「ごめん、私タクるわ。また今度サークルでね。気をつけて帰ってねー」
ムトーはそう言って、あっという間に私たちの目の前から消えてしまった。
言われるがままにタクシーを見送った私たちは、暫しぽかんとして車が去って行くのを見つめていた。
嵐のように去っていったムトーに、思わず小さく笑ってしまうと、ハルも隣で笑った。
久々に見たハルの笑顔に、それだけで胸が苦しくなった。
そして私たちは、線路沿いを歩きながら話を続けた。

「ハルが記憶を失ってしまったのは、心臓とは別の病気なの?」
「 ……心因性の、記憶障害らしい。心臓とは関係ないかな」
「そっか……、心因性……」
これ以上深く掘り下げることは今はできなかった。きっと、私と会ってない間、沢山沢山辛く悲しいことがあったんだろう。
その時一緒にいてあげられなかった自分が悔しい。
ハルは大したことないように話すけれど、なんとなく今は踏み込みすぎるタイミングではない気がする。
「逆に俺のこと聞かせてよ。君と俺の関係ってどんなだった?」
「関係か……。幼馴染で、家が近くて、お互い映画好きで、一緒に家で映画観たり、おやつ食べたりしてたかな……」
思い出すように語ったけれど、ハルが私を君と呼んだことが寂しくて、私はつい感情をあらわにしてしまった。
「それから、私のことは、冬香って呼んでた」
情けないけれど、声が震えてしまった。ハルは一瞬固まったように見えたけれど、すぐに頷いてくれた。
「分かった。冬香な」
名前を呼ばれただけなのに、どうしてこんなに泣きそうになるのか。
私は必死に感情を抑えつけながら、もっと聞きたかったことに踏み込んだ。
意を決してハルの瞳を見つめる。ハルは立ち止まって、同じように私の瞳を見つめ返した。

「ハルは、今もハグをすると感情が共鳴するの?」

私の言葉に、ハルは一瞬目を丸くした。
それから、何か自分を納得させるように心臓付近を撫でて、そうか、と小さく呟いた。

あの時私が拒否してしまったこと、ハルが覚えていなくても、謝りたい。
こんな時も自分勝手でごめんね、ハル。

「……そのこと、冬香は知ってるんだ」
ハルの真剣な言葉に、私も真剣に頷いた。すると、ハルは眉を動かさずに、石の様に固まってしまった。
そんなハルに、私は静かに語りかける。
「ハルに自分の醜い感情を知られることが怖くて、私、ハルを拒絶してしまった。覚えていないだろうけど、ずっと謝りたかった……ごめんなさい」
地面が近づくほど、頭を深く深く下げた。怖くてすぐにハルの顔が見られない。覚えていないと分かっているのに、今もあの時の罪悪感を思い出すと手が震えてくる。

ハル、ごめんなさい。
もう一度、君と向き合うチャンスをください。
私、もっと自分を好きになれるよう、頑張るから。そうしたら、君の隣にいられるって信じてるの。

私頑張るから、ハルの隣にいさせてください。