前に進むことが悪いことみたいに思っている私は、一番弱い人間だ。
 分かっているのに、心の整理がつかない。

 ハルは、こんな私を見たらどう思うだろう。
 きっとがっかりするだろう。

「ではこれから、上映会を始めます。今日はOBOGの皆様にもお越しいただきありがとうございます」
 一人で悶々としているうちに、卓が司会進行を始めていた。
「まずは新人の作品を観てもらってから、講評会、そのあとの交流会中に過去作品を上映します」
 懐かしい上映会の空気を感じ取って、部屋が暗くなると共に私は一度ゆっくり目を閉じた。
「今回の講評会は順位づけをしていくので、より良いと思った作品を選んで、一位のタイトルを別枠に記入してください」
 いつの日か、ハルが私に言った言葉が、じんわりと浮かんできた。

 『冬香は、どっちがいい? どっちを選んだ方が、心が正しくいられる?』

 何かに迷った時、ハルが言った言葉。
 今でも忘れないよ。今でも問いかけ続けているよ。
 ハルがいなくなった事実を受け止めること、受け止めないこと、
 どっちが自分の心が正しくいられるのか。

 君がいなくなってから、自分の心に、心臓に、ずっと問いかけ続けているよ。




 こんな展開を、一体誰が予想できたと言うのだろう。
 ずっと会いたかった初恋の幼馴染が、自分の存在ごとすっかり忘れていたなんて。
 謝りたかったあの日のことを、もう謝ることさえできないなんて。
 
 幼い頃、一緒に段ボールの中で映画を観たこと。
 泣いている幼いハルとハグをしあったこと。
 中学校で突然再会したこと。
 ハグの魔法の真実を教えてくれたこと。
 私がハルを拒否してしまったこと。

 ハルが、沢山助けてくれたこと。
 私が、沢山傷つけてしまったこと。

 ハルはもう、あの日々をひとつも覚えていない。
 その事実は、信じられないくらいに、苦しい。

「ハル、本当の本当に、一ミリも、私のことを思い出せない?」
「うん、ごめん……」
説明会を経て、大学近くの居酒屋での新歓飲みが終わったその日、私はもう一度ハルに問いかけてみた。
隣にいたムトーは、そんな私たちを見て、なんとも言えない表情をしている。
悪い酔い方をした学生たちが集まっているロータリーを抜けて、高田馬場駅から下落合駅まで歩くことになった。
光り輝くネオンは、奇妙な関係の私たちを照らして、終電間近の電車が音を立てて夜の闇に溶けていく。

改めて、ハルの横顔を眺めてみたが、青く光る黒髪に、切れ長の瞳が隠れてしまった。
なんだか、中学生の時の毒気が随分と抜かれている気がする。
でも、雰囲気が柔らかくなったとか、優しくなったとか、そんなんではなくて、何かがすっぽり抜けてしまったような、そんな雰囲気を醸し出している。

じっと見つめていると、ふと夜風がハルの前髪をかき上げて、鋭い瞳と目がバチっと合ってしまった。
深い夜の色をしている。この瞳の色だけは、あの頃と変わらない。

「まあでも、一緒にいれば少しずつ思い出していくかもじゃん。今はとにかく、再会を喜ぼうよ」
ムトーが私の背中をバシッと叩いて、サバサバとした声音でそう言った。そうだよ、ムトーがせっかく繋いでくれた縁なんだから、大事にしなくちゃ。
そんな風に思い直していると、ムトーが私の耳元でそっと囁いた。

「謝りたいことあったんだろうけど、全部リセットして、頑張りなよ。気まずい関係ごとリセットされたと思ってさ」