ジルは、いまだ呆然としているクロウの手を引き、その場から急いで離れようとした。


こんなところに、長居は無用だ。出来るなら、もう二度と来たくはない。


剣を手にしたまま立ち尽くしていたリックが、訝しげにジルを見ていた。


リックから素早く視線を逸らすと、ジルは足早に先を急いだ。


クロウの獰猛化を目の当たりにした人々が、怯えたように身を引き、ジル達に道を空ける。


その先に、葦毛の馬に跨り、じっとこちらを凝視している男がいた。




襟足までの黒髪を風に揺らした、若い男だった。年は、クロウと同じくらいだろうか。スラリと伸びた長い足に、筋肉の気配を感じさせる胸板。


金の装飾の施された漆黒の軍服には徽章や勲章が並んでおり、一目で身分の高い人間だということがうかがえる。


一秒でも早くここから立ち去りたいと思っていたジルだが、男を目にした途端、思わず足の速度が緩む。


ダークブルーの瞳が、冷ややかに、射るようにジルを見下ろしていた。顔の造りが飛び抜けて整っているからこそ、よりいっそう冷徹に感じる。


(なんて冷たい目なの……)


視線を浴びているだけで、心臓が震えるようだ。立ち止まっている場合じゃないと自分に言い聞かせ、ジルはクロウの手をぎゅっと握り直すと足を進める。


だが、背後から響いた「エドガー様!」というリックの声に、再び足を止めた。


(この人が、獣人嫌いのエドガー王子……)


ドクンドクンと、胸が早鐘を打っている。リックが、エドガーの馬の前に仰々しく膝をつく。


「獣人がいます。しかも、獰猛化して人を襲いました」


「見ていたから、知っている」


手綱を引きながら、エドガーが再びジルとクロウに鋭い視線を送る。


「だったら、話が早い。今すぐに俺が捕獲します!」


勢いよくリックは声を荒げると、剣に手を掛け立ち上がった。見るからに野蛮さの漂うこの眼帯の男は、外見通り血の気の多い性質のようだ。


ビクッとジルは肩を震わせた。獰猛化から解き放たれたばかりのクロウは意識がまだ朦朧としていて、今の状況を呑み込めていないようだ。リックに襲われたら、あっけなく捕らえられてしまうだろう。今のクロウを守り切るほどの力を、ジルは持ち合わせていない。