千一夜物語

黎が以前言っていた‟鬼らしくない女”とはきっと、遠野で出会ったというその女のことなのだろう。

しかもその女が嫁として黎に会いにきた――

すぐ誤解を解けばふたりは両想い。


なのにこの男ときたら…

自分を抱きしめてどうしようとしているのか?


「離して下さい。早く戻りなさいと言ったのが聞こえなかったのですか?」


「俺に命令するな。…お前までも、俺を拒絶するな」


黎の息が首筋にかかり、どうしようもなく切なくなって唇を震わせていた。

人と妖――全く違う生き物なのだから、こうして想いを抱いた自分の方が悪い。


だからもう、こんなことはやめなければ。


「私はともかく、お主のお嫁さんはただ誤解しているだけであって、お主が誤解を解けばすぐ解決する話です。…黎、私のことはもう構わないで下さい。私は自分自身で身を守れますから」


「ふざけるな。お前は俺の食い物であって俺のものだ。あまり聞き分けのないことを言うと…食うぞ」


語気荒く嫌がる神羅の腕を取って目を合わせようとしたが、神羅は唇を噛み締めて俯くばかりで、絶対に絶対に、もう会わないという選択肢は黎にはなかった。


「やめ、て…っ」


「神羅!こっちを見ろ!」


とうとう押し倒さん勢いで神羅を羽交い絞めにした時――扉の外からひそりと声をかける者が在った。


「神羅様、少しよろしいでしょうか」


「業平(なりひら)…!」


黎の胸を強く押して離れさせた神羅が息を切らしながら扉を開けると、理知的で優男の顔をした関白の業平は、ちらりと屋内を見てひそりと囁いた。


「何事ですか?」


「なんでもありません。私に用なのでしょう?行きます」


「お手を」


――業平が神羅の手を取って階段を降りる様を見た黎は、燃え上がる嫉妬の感情に苛まれてもう一度名を呼んだ。


「神羅」


「…数日は来ないで下さい。お主はどうぞその間お嫁さんと仲睦まじく」


「…」


荒れる。

黎の心は荒れ狂い、血が滲むほど唇を噛み締めた。