千一夜物語

黎が御所内にある神社を訪れた時、神羅は相変わらず祭壇に向かって祈りを捧げていた。

音もなく扉を開けて中へ入った黎は、艶やかな黒髪を結ばず垂らしたまま手を合わせて集中している神羅の傍に座ってじっと待っていた。


…何か言ってほしいわけではない。

ただ…近くに居ると安心する気がしていた。


「今日は遅かったですね。朝議は終わりましたよ」


「ああ…ちょっと予期せぬことが起きて…逃げて来た」


くるりと身体を黎に向けた神羅は、鬼族よりも鬼らしいと言わしめる強気な美貌で黎を見つめた。


「予期せぬこととは?」


「…嫁が来た」


「…え?……嫁…」


「親に決められた相手だったんだが、遠野に悪路王を殺しに行く道中で知り合った女だった。嫁に出されたと聞いていたんだが…出された相手は…俺だった」


――神羅は絶句していた。

絶句して、黎に嫁が居ると聞いて衝撃を受けて、息をすることすら忘れて胸を押さえた。

…名家の出だとは聞いていたため許嫁が居る可能性は考えないこともなかったが、現実を突きつけられて、すうっと表情を失った神羅に黎は若干焦って腰を浮かせた。


「それで…何故逃げ出してきたのですか」


「いや…あっちは遠野で会った男が俺だと気付いていないんだ。あの時は夜叉の仮面をつけていたから」


「そうですか。早く戻って誤解を解いた方がいいですよ。それで丸く収まりますから」


また背を向けた神羅の雰囲気がぴりぴりしていた。


拒絶されている――


澪にも神羅にも拒絶されて、今度は黎が胸を押さえた。


だがふたりのうちどちらに拒絶されて傷ついたかと言われると――


「…神羅」


背中から、神羅を強く抱きしめた。