千一夜物語

橋の方からぐおお、と咆哮が聞こえた。

もし来訪者があれば知らせてくれと赤鬼と青鬼に伝えていたため、二匹は世にも恐ろし気な咆哮でそれが来たことを伝えてきた。


「敵か!?黎様、俺ちょっと行ってくる!女狐は黎様ん傍に居ろ!」


「言われなくともそうするわよ!」


玉藻の前の金の目がすうっと細くなって瞳孔が狭まると、黎は目を閉じて気配を辿った。

…悪いものではないような気がする。

それになんとなく、知っているようなものの気がする。


「なんだ…?」


眉を潜めて待ち構えていると――しばらくして牙が先行して戻って来た。

その途方に暮れた表情を見た黎は、縁側から立ち上がって眉を潜めた。


「牙?お前ひとりで戻って来たのか?」


「あー…黎様…その…すんげえ言いにくいんだけど…」


「なんだ」


「あの…嫁さんが来てる」




……言われている意味が分からずにきょとんとしてしまうと、牙は黎に歩み寄ってなんとも言えない複雑そうな表情になった。


「嫁…!?俺のか?嫁なんか貰った覚えはないが」


「えーと…見れば分かるって。俺も何がどうってこうなってんのかわけ分かんねえんだよ」


ますます訳が分からずにきょとんとしていると――玄関を通らず庭に回り込んできた人影…


いや、人影と一匹を見て、黎が凍り付いた。


「は…っ!?」


『!あなた様は…!』


顔は猿、身体は虎で尻尾が蛇――

世にも珍しい鵺が…

いや、黒縫が、黎を見るなり一歩前にずいっと前進した。


「黒縫…駄目よ…」


黎を攻撃すると思ったのか――鼻先まで隠れる白い綿帽子を深く被った女が呟いた。


「お前は…まさか…」


高貴で年上の男に望まれていずれ嫁に行くと言っていた女――澪だ。


そんな馬鹿な、と呟いた黎は、淡い桃色の着物を着た澪の顔を見ようと近付いた。

だが澪は身を引いて、黎を立ち止まらせた。


「…私はあなたのお嫁になりますが、私には誓った方が居ます。だから私には絶対触らないで」


その冷たい声――

澪が少しだけ顔を上げた。

その左目の下に蔦が絡まったような刺青が彫られているのを見て、黎は絶句した。


その刺青の意味を問いたかったが…

澪は気付いていない。

遠野でお前を攫うと言って口付けを交わした自分が許嫁であったことを。


今それを知って、言葉を紡げずにいた。