千一夜物語

「…まずい。非常にまずい」


黎の呟きに小型の猫の姿になった火車の毛並みを櫛で梳いてやっていた牙が顔を上げて目を真ん丸にした。


「何がまずいんだ?」


「最近神羅が身を委ねる素振りを見せるようになった。このままだと抱いてしまう」


――至極真面目な顔をして腕を組みながら告白した黎をじっと見つめた牙は、あぐらをかきながら黎の方に身体を向けた。


「抱けばいいじゃん。どうせいずれ抱いて食うつもりなんだろ?」


「…」


その‟食う”という想像が完全に欠如してしまっていることを自覚している黎は、あの日遠野から戻って来て神羅と唇を重ねてから現在までの間に、もう抱く寸前にまで至っている状態で、深いため息をついた。


「これでもすんでの所で堪えている。神羅を抱くと…まずいことになる気がするんだ」


「それって女帝に夢中になっちゃうってこと?んなのすでに…なんでもねえ」


「すでに…なんだ?俺がすでに神羅に夢中になっているとでも?」


少し語気が荒くなった黎にびくびくしてしまった牙は、やや耳を倒しながらちらちら上目遣いに黎を見た。


「あっちは身を委ねてもいいと思ってるんだろ?そんで黎様も抱きたいんだろ?何が駄目なんだ?俺、前にも言ったけど嫁さんに貰えばいいじゃん」


――それについては実は真剣に考えてみた。

そうなった場合、神羅とは確実に生き別れになるし、人と夫婦の契りを交わしてはならないと遥か昔から言われ続けている習わしのようなもので、黎は額を押さえてまた深いため息をついた。

牙は悩む黎の肩をぽんと叩いて顔を覗き込んだ。


「とりあえずここに連れて来ればいいじゃん。俺女帝と話してみたいなー」


「ここに?あれは帝なんだぞ、おいそれと簡単に朝廷を離れるわけには…」


「ここに連れてきといた方が守れるんじゃねえ?日中は御所で過ごして、夜はこっちで守れば?」


牙はまだ若く成人したてで物事をあまり深く考えたりはしないが――それは一理あると思った。


「そうだな、一度連れて来てみるか」


「別に人と夫婦になったっていいじゃん。そういった例は結構あるんだし、周囲の声なんかいつものように無視すればいいし」


黎は牙の頭をぐりぐり撫でて褒めた。

一度神羅に話してみよう――そう決めた時…


嵐がやって来た。