千一夜物語

庭で起こっている喧噪には気付いていた。

眠っている黎を起こさないようにそっと神社を出て御所内へ戻り、血判状を胸に抱きしめて、ずっと泣いていた。

…愛した男と別れなければならないのは、我が身の責務…重要性を知っているからだ。

理を尊ぶ国に生まれた者として、期待されている声に応えないわけにはいかず、もし妖の元に嫁ぐと告げたならば――軟禁されて処罰されるかもしれない。

また黎にも兵が向けられて、争いが起きるかもしれない――そう考えると、自分の想いよりも帝としての立場を優先させるより他なかった。


「…行きましたか?」


「ええ、去りました。神羅様、これでよろしかったので?」


「…はい。これが、最善策なのです」


抑揚の籠もっていない声で傍に居た業平に声をかけられたが、神羅は血判状を胸に抱きしめたまま、業平に冷たい声を発した。


「少し独りになりたいのですが」


「…畏まりました。お呼びであればすぐ馳せ参じます」


業平が去ると、神羅は身体を丸めて声を押し殺して泣いた。


もう、黎には会えない――


もし、夫を迎える時が来たならば…‟主さま”と呼ぼうと決めていた。


だが…業平をそう呼ぶつもりはない。

自分にとっての夫は…黎――黎明しか有り得ないのだから。


「主さま…」


身体のあちこちにまだ感触が残っている。

数えきれない唇の痕も、指の感触も、肌の温もりも――まだ残っている。


「愛しています…永遠に…」


だから、幸せになって。

澪さんを幸せにしてあげて。


私の分も、永遠にずっとずっと――