千一夜物語

朝方眠っている澪を抱きしめてじっとしていると、外で牛車の止まる音が聞こえた。

橋を渡った時からその存在には気付いていたが…

澪を起こさないように静かに起き上がった黎は、部屋を出て廊下を歩き、玄関に向かうとそこに牙と玉藻の前で壁にもたれ掛かって腕を組んでいるのを見て、息をついた。


「黎様、あいつ朝廷の…」


「…俺が話をつけるから、お前たちは控えてろ」


目下の敵が乗り込んできたのだ。

自分のものを横取りしようとして乗り込んできた者に情けをかけるほど人格ができていない自信のある黎は、戸を開けて外に出ると、牛車の前に立っている物静かそうな男に声をかけた。


「業平…と言ったな確か。何の用だ」


「神羅様から文を頂き、こちらへ来るようにとのことでしたので。…そなた、やはり物の怪の類であったか」


夜叉の仮面をつけていない素顔を晒すのはこれで二度目だったが、黎の顔を見れば人ではないことはすぐに分かる。

こんなに整った顔をしている生き物は人外に決まっているのだから。


「神羅に…?」


「御所へ戻るので迎えに来るように、と」


「…」


やはり、戻る気だったのかと思うと怒りが滲み出て、殺気を感じた業平は手に持っていた刀の鞘に手を添えた。

そうやって睨み合っているうちに、玄関から出て来た神羅が黎の袖をくいっと引いて振り向かせた。


「黎、世話になりましたね」


「…どういうことだ」


「私は御所へ戻ります。後でお主に文を出しますからその後のことは…」


「どういうつもりだ、と言っている。お前は俺の持ち物だぞ。勝手な行動を取るな」


神羅はまた黎が不安を覚える微笑を浮かべて、首を振った。


「考えたいことがあるのです。私からの文を待っていて下さい」


引き留めても引き留めても――神羅は行ってしまう。

ぎり、と歯噛みした黎を横目に業平が神羅に手を差し出すと、神羅がその手を取ろうとして、黎が素早く業平の手を持っていた刀の鞘で打った。


「触るな」


「黎、やめなさい。業平、行きましょう」


「神羅」


名を呼んだが、神羅は振り向かず牛車に乗り込んでしまった。


求めても、手の届かない存在なのか?

身が焦げそうなこの想いは――どうすれば?


「…」


いっそのこと、この手で殺してやろうか。

その身を食って我が身と同化させてやろうか。

そうすれば、永遠にひとつになれるのだから――