(……私は、十分逃げました。ですから、もう止めましょう)

アマネは自分に言い聞かせながら、唇に触れる。まだ、あの熱が思い出せて、アマネは罪悪感を感じる。

嫌なわけではなかった。むしろ嬉しいとすら感じた。触れられることが、あんなに幸せだと思ったことがなかった。

けれども。

(私が、彼を……ウィルを穢してしまう。純粋で優しい彼の心を。穢れた私が)

自分の手も体も、すべてが穢れている。そんな自分がウィルを求めることはおぞましいことだと思った。

(今日、彼にすべてを話しましょう。私が何をしたのか、私のせいで亡くなった命の話を)

そして、彼の元から姿を消そう。アマネはそう思うと、ウィルの帰りを待った。


暗闇の中、ぼんやりと映像が浮かぶ。

『ウィリアム。覚えておけ』

幼い子供を膝の上に乗せながら、老人は優しく頭を撫でる。

『お前にいつか大切な人が出来た時、お前はその人の全てを受け入れねばならん。過去も今も、そして必ず訪れる未来も』

老人は笑う。

『だがな、その人の過去はその人にしか背負えん。人生も同じじゃ。受け入れることは、背負うことではない。どんな過去があっても、その人を否定しないことじゃ。優しく包み込むことが、受け入れるということじゃとわしは思う』

老人は遠くを見るように言う。

『いつかお前の前に大切な人が現れたら―』

老人の言葉に、子供は不思議そうな顔をしながらも頷いた。

(……これは、俺の記憶か)

幼い自分に、ハーバルの言葉は難しかった。けれども、ハーバルの言葉の中にある暖かさに、ウィルは安心して頷いていた。

『助手になりませんか?』

不意に聞こえた声。

冷静沈着で、頭脳明晰、コーヒー中毒かと言うほどコーヒーを飲み、ゴリラ呼びすると拳銃を突き付ける。

笑った顔も、怒った顔も見たことはあった。けれど、それが彼女の表情の全てではない。

(俺はまだ、お前の泣き顔を知らない。心から笑ったお前の顔も……お前が背負ったものも)

だから、知らなくては。そう思うと光が降り注ぐ。

その光を掴もうと手を伸ばし、視界が白く染まった。