そうだ。助けを呼ばなきゃ。呟いて、顔をあげた時だった。頬になにか触るものがあった。

「……リア」

(え?)

「……ノエリア」

 膝の上にあるシエルの頭が動いた。視線を戻すと、シエルが目を覚ましてノエリアの頬に手を伸ばし触れている。

「シエル様! 気が付いたのですか」

「……ああ。いてて」

「ここから血が出ています……どこか打っていませんか? 頭痛はありませんか?」

 口から頬を流れる血を拭ってやる。すると、シエルは自分でも拭って、血を確かめてから上半身をゆっくりと起こした。

「うん……口の中を切っただけみたいだ。腹は大丈夫だ。頭痛もめまいもないから、軽い脳震盪だな」

「本当に? ああ、もう本当に、わたし」

 シエルの手を握って、ノエリアは泣きじゃくった。頬に当てて温もりを確かめる。

(良かった。意識が戻って……!)

「心配するな。大丈夫だ。しかし、こんな場所に落ちるなんて……」

 肩で息をするノエリアの頭を撫でたシエル。苦笑しながら自分の頭を掻いていたが、ぺルラを見て、険しい顔になる。

「……おい。ぺルラを見たか?」

 なにについて言っているのか分かった。だからノエリアは頷く。シエルは拳を地面に打ち付けた。地面が湿った音を立てる。激しさにノエリアは驚いた。

「危険な目に逢わせてすまなかった。俺のせいだ」

 絞り出すように言うシエル。

「俺は狙われたのだろう。きみを巻き込んで、すまない」

「そんな、わたしは平気です!」

 怪我はないことを見せるように、ノエリアは腕を挙げたりしてみた。しかし、シエルの厳しい顔は柔らかくならない。

「俺がここへ来ていることは内部でも一部の人間しか知らない。休暇を取ったことは知らせてあるが」

 悔しそうに言うシエルだった。そして、ノエリアの体をぐいっと引き寄せた。痛いくらいに抱きしめられる。

「ごめん。ノエリア。きみを巻き込んで……ごめん。痛かっただろう」

 ごめん、ごめんと繰り返す彼の背中を、ノエリアは撫で下ろした。

「大丈夫です……どこも痛くないです」

 彼は、泣いているのだろうか。耳にかかる吐息が湿っているのは、空気のせいか。

「俺はいつも、死神に見放されるのだな」

「そんなものに好かれてはいけません」

 シエルは、ふっと苦笑を漏らすと、ノエリアを更にきつく抱いた。

「自分など、いなくなっても悲しまない。誰も、俺のことなど見ていない。それなのに」

 シエルが掴む背中が痛い。でも、痛いのは生きている証拠だ。ノエリアは黙って聞いた。シエルの呼吸に合わせて、体を委ねた。

「きみに、もしものことがあったら、どう詫びればいいのだ……!」

「平気です。シエル様。わたしは壊れません」

「片目も見えない。こんな体で、生きていたくないと思っても……こうして助かるんだ。いつもだ」

 なんて悲しい心を吐露するのだ。安心させたかった。子供のように震えるシエルを、いま、支えたいと思った。

「シエル様が生きていてくれてよかった。こうして出会えたのですもの」

 少年だった彼を思う。小さな肩に、悲しい過去と大きな運命を背負って生きてきたのだ。

「生きていたくないなんて、思わないで」

 生きていたから出会えた。だから、ふたりはこうして触れ合える。

「あなたを思う気持ちは、誰にも負けません。運命が襲ってきても……なにがあっても」

 シエルはノエリアを見つめた。揺らぐ彼の緑色の瞳。見えない左目は、上から銀色の絵の具を垂らしたようだ。

「こんなことを口にしていいのか分かりません。でも、そのせいで命を取られるなら、あなたのそばで」

 吐く息も、鼓動も、熱かった。自分のものじゃないみたい。

「シエル様が見えない半分を、わたしが、一緒に」

「ノエリア……きみは」

「愛して、います。シエルさ……」

 最後まで言い切らないうち、言葉はシエルの唇に絡め取られた。

 体をひとつも逃さないような抱擁を、ノエリアは全身で感じた。痛いほどの、優しさの欠片もない口づけだった。けれど灼熱を注ぎ込まれるような激しさに、ノエリアは焼かれる感覚に陥る。

 貪るようにお互いの呼吸を吸ったあと、命を確かめるようにきつく抱き合った。