地図は真っ二つに破れてからの川に流れた。今頃川の魚達が興味津々につついている頃だろう。

コンパスは登山用のシルバーコンパスを持ってきたのだ。
それなのに、先程岩場をよじ登った際に岩にぶつけてぶっ壊した。首に下げていたのは間違いだった。

では、私が今持っているものは何だろうか。急遽立ち止まって持ち物検査を行なってみる。

手持ちは……まず、岩石用のルーペがある。よしこれで岩を見よう。見てどうする。
似たような語感でロープがある。よし振り回そう。1人寂しく湘南の風でも感じてみよう。
1週間分の食料と水はある。つまりこれはピクニック。ここはポジティブに言い聞かせてみよう。レジャーシートはないが。
電波圏外のスマートフォンがある。つまり薄いだけの何かだ。存在ごと無視してやる。
ノートとシャーペン、消しゴムなど文房具セットがある。手持ちの紙全てに絵を描けば2年はかかる。それほどにルーズリーフもシャー芯も持っている。命より大事なものだ。これだけは何があっても切らさない。
組み立て式ドーム型テントもある。日帰りで捜索する予定だったが、念の為に持ってきて正解だった。雨風や野生動物からの襲撃をシャットアウトして眠れる、というのは、意外と重要なことなのである。ちなみに当たり前だが私1人で組み立てられる。
寝袋とロールマット、携帯用の枕もある。これで快眠間違いなしだ。歩く時には些か重くて邪魔なのだが、そこは考えない。

持ち物検査は以上。
意外とたくさんの備品を持ち合わせていた。流石は元ボーイスカウト。"備えよ常に"の教えの賜物である。


………おかげでかなり重い。腰痛持ちにはちとキツい。


このような重たき荷物を背負って山道を下るのは相当骨が折れる。早くも足が笑いを堪えてガクガクしている。
流石は『元』ボーイスカウト。もうあの若かりし頃のような体力はなかった。


ガクガクする足が運悪く木の根を蹴り飛ばした。

重い荷物に背中を押され、私は地面と熱い愛の抱擁を交わすこととなった。

顔面が痛い。ヒリヒリしている。
口腔内にはじんわりと鉄の臭気が広がる。
膝も擦りむいたようだ。

このような場面での怪我は禁物である。野生生物達が持つ病原菌など、色々危ない。早く処置せねば。
慌てて身を起こし、まだ抱き合ってろよと言いたげなリュックを降ろす。てめぇは後で飯抜きの刑だ。

膝を見ると両方ともかなりやってしまっていた。モザイクがかかってしまう……程ではないが、かなり血が出てしまっていた。
顔面だけでも落ち葉の多い地面とイチャイチャ出来てよかった。辺りに血の臭いが漂う。

とりあえず止血だ。

そう思って飯抜き刑のリュックをごそごそ探っていた私は、不意に微かな揺れを感じてピタリと動きを止めた。

今確かに地面が振動した。
ほんの僅かな振動だが、生物好きすぎて生物並みに五感が鋭い私には分かる(正確に言えば障害による感覚過敏なのだが)。

じっと耳を澄ませば………カントリーロードの歌が聞こえてきそうだが、いつの間にやら森が生命活動を止めていた。
何も音がしない。
つまり、他の生物達も一斉に緊張しているのだ。

き……危険が迫っている。
開始早々何たる悲劇だ。

シシガミ様でも怒らせてしまったのだろうか。
山犬の遠吠えでも聞こえてきたら私は終わりだ。

このようなアホらしいことを考えていられるなど、余程余裕そうに見えるだろうが。実は今私の脳は小パニックを起こしている。
パニックのせいで意味の分からんことを考えているだけである。


研ぎ澄まされた五感が振動を捉えた。


断続的な揺れが起きている。

しかも、段々と大きくなっている!?


こ、これは火山性微動だろうか……い、いや、私が入った近辺の山に活火山はなかったはずだ。入山規制等のニュースなども確認したが、大丈夫だったはず。
つまり………な、何だ?


耳が捉えた情報によると、遠くの方で乾いた物がパキパキと音を立てて倒れている。
乾いた物―――森林なのだから、間違いなく木だ。

木が倒れている……伐採か?それなら人が近くにいるということだ。助かる……のだが。

あまりの振動に体が跳ねる。

で、ではこのどんどん強くなる揺れは何だ!?

―どかぁぁぁぁぁん!!!―

目の前の木が突如吹き飛んだ(貧弱な響きの効果音だとかは言わないでほしい)。
後には綺麗な切り株が……と思いきや根っこごと吹き飛んでいた。

「…………!?」



―――その巨体が飛び出してきた時、まず私が思ったのは。


『この原生林だし、もしかしたら恐竜が生き残っててこの日本にのみ住んでたりして?そうだとしたら大発見だぜおれちゃん(((o(*゚▽゚*)o)))』


……違うそうじゃない。

「………………こ、こんにちわ」

違うそうじゃない!!

震える声で謎の挨拶をしたっきり固まってしまった私に、その生物は首を傾げた。

「………ん?これ……にんげーん……?んんー?」

コクッ、コクッと小刻みに首を傾げていくその仕草は、確かに鳥だ。

「いきてる……よなぁ……でもたしかに、ちのにおいだったんだけどな……んんんー??」

あ、こいつアホだ。おっと本音が。
ちなみに名誉回復の為に申し上げると、人間以外の生物が人間と同じ言葉を話している段階でこいつはアホでも何でもない。
だが今の幼げな仕草で恐怖が吹き飛んだ。何だか安心出来そうな相手だ。
試しに手を振ってみる。

「………………は、ハーイ?」
「うわっしゃべった!うごいた!ほんものだーー!!」

その生物はきゃっきゃと喜びながらこちらに近づいてきた。もしかして幼体だろうか?

この大きさで?

座り込む私からすればもはや雲で頭擦ってそうな体長だ。見上げていては首が痛い。誰だチビとか言ったやつ。
そもそも、歩く度に振動がすごい。先程突撃してきた時のような地震とまでは行かずとも、この揺れからして成長した個体であることはほぼ間違いないだろう。
とにかく、この生物の前では全ての人類が等しくチビになってしまうことだけは分かる。

どんどん近づいてくる彼の、口元から鋭い犬歯が見えた。赤黒いものがこびりついている。
再び恐怖からの戦闘モードに入って身構える。

「あの……私、食べても美味しくないんでね。そもそもカニバリズムというのはあまり歓迎されたことではないのだよ、いいねっ?だから食べないでね決してっ!頼むよっ!!」
「ん?」

彼は私の前で長く太い脚を折り曲げた。
巨人のように感じていた体がぐっと縮まり、目線が同じ高さまで下がった。

「んー……たべてもいいけど、しづーきにたべるなっていわれてるから!」

……誰か分からないけど、しづーきさんありがとう!!きちんと教育してくれたんだね感謝!!

しかし恐怖で声が出ない。初めて死を間近に感じた。

「でも……おなかへった〜……」

ぎゅ〜るるるる〜……
何とも場違いな音が響く。

……彼のお腹からだ。

鳥肌が立った。猫ならフーッと威嚇の声を上げるだろうが、人間は代わりに命乞いの声を上げる。

「ご、ご飯なら美味しいの持ってるからさ!!君は肉食かなっ!!に、肉もちゃんと持ってるから!!だから私を食べるのだけはっ―――」
「でも、しづーきはつれてこいっていってたな……そいつにジョーホーとかショクリョーとかもってこさせて、リヨーするっていってたなたしか……うーん……」

私の鳴き声などお構いなしに、そいつは頭を抱えた。ちょっと英語訛りの喋り方と言い、日本語はあまり得意ではないらしい。

と言うか、そもそも喋り方が何だか幼い。まさか、本当に幼体なのではないのだろうか。

それとも……も、もしかすると"彼ら"の発声器官はあまり発達していないのでは!?
これは大発見である!早く書き留めなければ!
……しかし下手に動けば刺激して襲われる可能性もある。
も、もどかしい……っ


彼は首をコクコク曲げ続けていたが、人間の骨格では真似出来ない角度まで首を曲げていたが、突然ぱっと戻した。
差し込む太陽光で長く伸びた犬歯がキラリと光る。ぎょっとして再び応戦する構えをとる。

「……よーし、つれてこう!」

彼は顔を輝かせて言った。

それを聞いて途端に気が抜けた。
ふぅ……