「………凄かった」


あれから私達は一言も話さず、上階から聞こえてくる花恋のピアノに耳を澄ませていた。


締めの和音が聞こえた瞬間、五十嵐は小さく拍手をしながらそう呟いた。


「うん、凄いね」


私の顔も自然と綻ぶ。



キーンコーンカーンコーン……


その時、17:00を告げるチャイムが鳴った。


「えっ、もうこんな時間?」


五十嵐が驚いた様に辺りを見回す。


「もう、帰らないと」


私はサッカーの本を彼の手から抜き取り、自分の読んでいた本と重ねて元あった場所に戻しに行った。


「ありがとう」


後ろから、五十嵐の声が聞こえる。


本を棚に戻した私は、リュックを掴んでドアを開けた。


「鍵、閉めなくてもいいって」


電気を消した五十嵐が、ありがとう、とお礼を言いながらドアを閉める。


「いえいえ」


私と五十嵐は、2人並んで廊下を歩く。


「…次は、金曜日だよね」


五十嵐が、確認するように私に尋ねる。


「うん。明後日も宜しくね」


五十嵐は頷いた。



「じゃあ、また明日」


「うん、じゃあね」


校門まで来た私達は、手を振って別々の方向に分かれる。


五十嵐の姿が見えなくなった事を確認すると、私は立ち止まってため息をついた。


(また、“勇也”にならないと)


女子としての感情は、消し去って。


髪の毛を手ぐしで整える。


この短い髪の毛は、私が“男子”になった証。


(ママに、どうやって言おうかな…)


私は、“男子”としてママに今日の出来事をどう報告しようか考えながら、家に向かって歩き出した。