「...っか、神崎!!」
リーダー格の男がそう叫んだ。
それと同時に、あたしは腕を強く掴まれた。
「きゃあ...っ!なに!?」
後ろを振り返ると、見知らぬ男が立っていた。
まさか、あの男の味方?
あたしを人質にしようってこと?
「ちょっと、離してよ!」
あたしは男の手を振り払おうとしたけど、全然振り払えなかった。
男はあたしを公園へと突き飛ばした。
あたしは地面に転がった。
「いったぁ...」
「よくやった神崎。動くなよ?この女を傷つけたくなければな」
ひんやりとした硬いものが、私に当てられる。
橘田慧はそのナイフを見て、動きを止めた。
刃物と赤。
そのふたつだけが、あたしを支配する。
息の仕方も忘れそうだ。
でも、あたしの弱みを見せたくない。
誰にもあたしを知られたくない。
小さく深呼吸を繰り返す。
口の中がざらついて気持ち悪い。
「...ちょっと、離してくれる?」
あたしは気が強いから。
気が強いあたしが、周りから見た“あたし”だから。
あの日から作り続けている“あたし”にならなくちゃ。
「あ?」
「離してって言ってるんだけど」
震える声を誤魔化して、強く言い放つ。
「てめぇ調子乗ってんじゃねえよ!」
「調子乗ってるのはどっち?女を人質にするとかほんとありえない。だから“また”負けたんだよ」
「なっ...!!」
わざと“また”を強調して言えば、バカな男は怒り出す。
「てめぇ...!!ふざけんなよ!?」
男がナイフを振り上げる。
あたし、今回はダメかも。
あたしは目を固くつぶった。
それなのに、痛みは全く来ない。
あたしはゆっくりと目を開けた。
「え...。橘田...?」
橘田慧はあたしと男のあいだに入り、ナイフを手で握って止めていた。
橘田慧の手から血が滴り落ちる。
ドクンとあたしの胸が不規則に鳴り出す。
「消えろよ」
橘田慧は、男のことを蹴り飛ばした。
男は左に飛んでいく。
気づけば、あたしを捕まえた神崎という男も倒れていた。
橘田慧は振り返ってあたしを見る。
「ごめん。巻き込んじゃって。怪我ない?」
さっきまでの橘田慧が嘘みたいに、喧嘩をする前の橘田慧に戻る。
もしかして、二重人格だったりするわけ?
「...平気」
あたしは体の震えに気づかれないように、素っ気なく返した。
「.........そう?やっぱり怖かったよね?」
「別に。左手、だして」
橘田慧は、首をかしげながら手を出してくる。
その左手から血がまた滴り落ちる。
急いで引こうとする橘田慧の手を、あたしはすかさず掴んだ。
ポケットからティッシュとハンカチを出す。
手についた血をティッシュで拭いてから、ハンカチで止血する。
きゅっとハンカチを結んだ。
「...じゃあ」
あたしはそれだけ言って、立ち上がり、公園の出口へと向かう。
「......君、本当は怖かったんじゃないの?」
後ろから聞こえてきた声に、私は立ち止まる。
確かに怖かった。
別に人質にされたことが怖かったんじゃない。
目の前の喧嘩が怖かったんじゃない。
あたしが怖かったのは、あの日のことだ。
今日の喧嘩が、なぜかあの日と被った。
過去と現在が、あたしの中で一瞬だけ同じになった。
記憶の奥底にしまっておいたはずだったのに。
「...別に怖くない。」
殴るとか殴られるとか、そういう類のものは慣れている。
だってあたしはどこに行ってもいじめられたから。
それに、あの人たちだって────。
やめよう。過去のことを考えるのは。
「でも、震えてたよね?」
「震えてない。」
嘘、本当はものすごく震えてた。
怖くて、怖くて。
どうしようもなく、今日の男が彼に見えて怖かった。
でもあたしは弱さを見せたくない。
「......そう。じゃあ俺の勘違いだったみたい。」
気をつけてね、と付け足した橘田慧に、あたしは何も言わずに歩く。
まだ、手の震えは治まらない。
怖い。
怖くて、涙が出そう。
「...っ」
あたしは家に入るなり、座り込んだ。
ガタガタと震える体を抱きしめて、あたしは必死に目を瞑る。
「...っ関係ない。あれは、あたしのせいじゃない...っ!」
“本当に?
本当にあたしのせいじゃないの?”
あたしの中で、もう1人のあたしの声が聞こえる。
“あたしがいるからああなったんじゃないの?”
うるさいうるさいうるさい...っ!
黙ってよ...!!
あたしは手の力を強くする。
自分の腕に爪が食い込んで、ピリッと痛みが走る。
その痛みに、あたしは目を開けた。
「...っ関係、ない.........!!」
あたしのひどく震えた声だけが、響いた。