いつもと同じ時間に

家を出たはずなのに

いつもより遅くなったのは

昨日の怪我のせい。

湿布と氷水で冷やして

しっかりアイシングしたのに

全然腫れも引かないし

ズキズキと痛む足に

溜め息が出るけど、幸ちゃんが

怪我しなかったんなら

何てことはない。

いつもと同じように水遣りをする

私に誰かが声をかけてきたけど

その声の主を私は知っている。

日下部くんだ。

「おはよー、花宮!」

この人ってちゃんと人の話

聞いているのかな…

昨日散々、迷惑だと言ったのに

懲りずに話し掛けてくるなんて

あり得ない…

呆れて声も出ないとは

まさにこういう事だ。

振り向かないまま、私は

声を出す。

「おはよう」

何の抑揚もなく発した言葉を

日下部くんに放つ。

何が楽しくて話し掛けてくる

のか全く分からないけど

挨拶だけは返す。

一応クラスメイトだし…

ザッザッザッ…

砂の上を歩く音がして

立ち去ったのだと思って

いたのに…

その音が私の隣で止まった

気がして、その瞬間

私は心臓が飛び出るほど驚いて

目線だけを向けてみる。

この人が何を考えてるのか

さっぱり分からないんだけど…

そんな私の驚きも気にせずに

花を見つめながら

口を開く日下部くんは

見下ろしながら

「この花って何て花?」と

唐突に質問してきた。

え…?

なんて花って…

チューリップを知らない人いる?

「チューリップ…」

目の前で綺麗に咲く

チューリップを見ながら

答えた。

すると

返ってきたのは間の抜けたような声。

「へえー、チューリップっていう

んだ…」

やっぱり知らなかったんだ…

春には必ずどこかしらで

咲くチューリップを初めて

知ったような返事に

驚いた。

「なんか、可愛いな…」

愛おしそうに紡がれる言葉に

私はそっと日下部くんに

目をやる。

気にしたことはなかったけど

日下部くんって背が高いんだ…

私より頭1つ分くらい背の高い

日下部くんは口元に笑みを

浮かべていて

ちょっとドキッとした。

私の知る日下部くんは

弾けんばかりの笑顔で

笑う人だから…

そんな顔もするんだと思って

気を抜いて

逸らす事を忘れていた私に

急に振り向いた日下部くんは

花に向けていたままの

優しい目で私を見つめてきた。

その目は朝日を浴びて

キラキラしていて

不覚にも綺麗だと思った。

いつもの無邪気な笑顔じゃない

優しくて、どこか温かさのある

笑顔に

私は慌てて目を逸らした。

顔中が熱くて茹でダコみたいに

なっているだろう顔を

髪で隠すように下を向く私に

優しい声で

「可愛いよな、ほんと」と

言った日下部くん。

花を見て言っているのに

自分が言われてるみたいで

あり得ないほどにドキドキしている

私の心臓。

すごく痛い。

なんなの、これ…

日下部くんを突き放す言葉を

言った時とは違う、この痛みは

なんだろう…

甘くて、苦しくて

息をするのもやっとで。

でも、温かい感じ…

誰かに傍に居られる事が苦痛な

私がこんな気持ちになるなんて…

今日の私はなんか変だ。

その原因はきっと日下部くん。

平静を装って私は水遣りの

手を止めて片付けを始めた。

その間もずっと背後から

視線を感じて落ち着かない私は

そのまま逃げるように

校舎裏へと向かった。

「はあー…」

そんな私の目に、元気に

蝶々を捕まえようとはしゃぐ

幸ちゃんの姿が見えて

自然と笑みが零れた。

やっぱりここは落ち着くなぁ…

始業のチャイムが鳴るまで

私は幸ちゃんを見つめ続けた。