ようやく千種の足が動き出した。それについて行こうと足を踏み入れると、その瞬間に涼しい風が吹いた。

…まるで、昨日の夜の風のようだ。


「…一色くん、」


一色くんの、綺麗な髪も揺れていた。1本1本の髪が、まるであいさつをするように動いている。

こんにちは、こんにちは。今日もちゃんと生きているね。

そんな風に心で呟きながら、教室の前から離れていく。


「…天香? 何ぼーっとしてんの?」


千種の声にハッとする。身体は動いても、目はいつまでも彼の方を見ていたらしい。
彼の方…というか、一色くんを囲っている色たちというか。


「ごめん、一色くんの髪色たちがあいさつしてきて」

「マタァ? あんたねぇ、すぐそうやって世界に入り込むのやめな。時間ないんだから」

「ええっ、時間ないのは千種のせいだよう!」


千種の腕を掴んで、顔を覗き込んだ。自分のせいでもあると分かっていたのか、少し苦い顔をしていた。

千種は、あたしのいちばんの理解者だ。千種がいなかったら、あたしはこの世界で自分を出して生きていくことなんかできなかった。


「千種の髪色くんたち、疲れたって言ってるよ。早く着替えて整えてあげないと」

「なーにが、“ 疲れた ” よ!髪の毛がどう疲れるって言うのよ。動いてるのはあたしだっつの」

「色たちも頑張ってるんだよう!ぜんぶ、千種の一部なんだから」

「しーらない。あたしには分かんない」


ベチ!と、おでこを叩かれた。昨日、さらに前髪を切ってしまったせいで、丸出しだ。ヒリヒリした。