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 音楽室を後にした私達は、再び並んで廊下を歩いて行く。古びた木造建ての校舎は所々が(もろ)く崩れ、窓からは隙間風が吹き込んでいる。
 そんな老朽化の進んだ校舎でも、私はとても好きだった。特に、歩く度に少し(きし)む廊下が私のお気に入り。
 この学校が無くなってしまうなんて、やっぱり凄く寂しい。


「学校が無くなるのは、やっぱり寂しいね……」


 隣を見ると、そう呟いた大ちゃんが寂しそうな顔をする。


「うん……」


 大ちゃんも同じ思いでいてくれたのだと、少し嬉しく思いながら返事を返す。


「俺はさ、中1の1学期までしかいなかったけど……。やっぱり寂しいよね、母校がなくなるのは」

「そうだね。……私、大ちゃんと一緒に卒業したかったな」


 溢れ出た本音に、ハッとして大ちゃんの方を見る。


「ひよ……」

「……っ」


 辛そうな顔をして、私を見つめてくる大ちゃん。その瞳から目を逸らせなくなってしまった私は、そのまま黙って見つめ返した。


「俺も……ひよと一緒に、卒業したかった。ずっと……側にいてあげたかった……っ」


 今にも泣き出しそうな表情を見せる大ちゃん。そんな姿に焦った私は、慌てて笑顔を作ると口を開いた。


「……っしょ、しょうがないもんね! お父さんの仕事の都合で、引越しになっちゃったんだから」


 決して大ちゃんを責めている訳でもなければ、こんな辛そうな顔をさせたかった訳でもない。何とかこの空気を変えようと、焦りながらも思案する。


「あっ……!」


 目に付いた少し色の変わった壁板に近付くと、私はそのままその場に腰を下ろした。
 壁の下側にある、色の変わった五枚分の板。


「……ほらっ! 大ちゃん」


 ニッコリと笑って振り返れば、私に向けて笑顔を見せてくれる大ちゃん。


「……そんな事も覚えてたんだね」


 私のすぐ隣に腰を下ろした大ちゃんは、懐かしそうにその壁に触れた。
 昔は、この板を軽く叩くと簡単に外れ、外へと通じる穴となった。
 ここは、大ちゃんの秘密の近道。

 先生に見つかっては怒られ、それでも暫くするとまたここを使っていた大ちゃん。『今日も見つかっちゃったよ』と悪びれた様子もなく、笑顔で話していた大ちゃんを懐かしく思う。


「張り替えられちゃったんだね。まぁ……流石にもう、通れないけど」

「大ちゃん、凄く大きくなっちゃったもんね」


 クスクスと笑いながら話す大ちゃんを見て、和やかな空気に戻った事に安堵する。


「……もうすぐ陽が落ちるね」


 立ち上がって窓の外を見る大ちゃんを追うようにして隣に立つと、私は夕陽に染まった空を眺めた。


「教室に行こうか」

「うん」


 そう促された私は、笑顔で頷くと大ちゃんと並んで教室へと向かう。


「……ひよ。さっき、俺の席に座ってたね。……何で?」


 隣を歩く大ちゃんが、突然そんな質問を投げかけてくる。

 
(何で……? 何でかは、わからないけど……)


「大ちゃんに見つけて貰えるかと思って」

「……そっか。見つけられて良かった」


 夕陽に染まった大ちゃんの横顔は、なんだか少し悲しそうに見える——そんな気がした。

 教室の前まで着くと、開かれたままの入り口を潜ってそのまま教室へと足を進める。


「……ひよの席は、ここ」


 先程私が座っていた席に腰を下ろした大ちゃんは、椅子ごと後ろへ向くと目の前の机をトントンと叩いた。
 大ちゃんに言われた通り、私は黙って後ろの席へと座る。そんな私と目を合わせた大ちゃんは、優しく微笑むと口を開いた。


「今日は、ひよに会えて本当に良かった……」


 なんだか、先程から少し様子のおかしい大ちゃんに戸惑う。


「うん。私も、大ちゃんに会えて良かったよ。……ずっと会いたかったから」


 素直な気持ちを伝えると、大ちゃんは少し悲しそうに微笑んだ。


(っ……。まただ……)


 先程から、時折見せる悲しそうな顔。
 私は、何かしてしまったのだろうか……? 言いようのない不安に、緊張した私は震える声で口を開いた。


「大ちゃん……。私、何か悪い事……しちゃったのかな?」


 一瞬驚いた顔を見せた大ちゃんは、悲しそうな顔をすると私を見つめた。


「ひよは、何も悪い事なんてしてないよ。……俺が悪いんだ。ごめんね、ひよ」

「どういう事……?」


 私の質問に、ただ黙って悲しそうな笑顔を向ける大ちゃん。一体、何だというのか——。

 大ちゃんをこんなにも悲しそうな顔にさせてしまっているのは、本当に私のせいではないのだろうか?
 拭えない不安に、私まで悲しくなってくる。


「——あっ! いたいた」


 突然聞こえた声に視線を向けてみると、教室の入り口にめぐちゃんが立っている。
 そのまま教室へと入って来ると、私達の目の前でピタリと足を止めためぐちゃんは、心配そうな顔をして口を開いた。


「……どうかしたの?」

「何もないよ……」


 大ちゃんが小さく微笑んで答えたのに対して、私は黙って首を横に振って応えた。


「…………。これ、渡しておこうと思って」


 少しの沈黙の後、そう言っためぐちゃんは目の前の机に封筒を置いた。
 そこに置かれた封筒には、【大ちゃんへ】と私の手書きの文字が書かれている。先程開けたタイムカプセルに入っていた手紙を、わざわざ届けにきてくれたのだ。


「ありがとう」

「ありがとう、めぐちゃん」


 めぐちゃんにお礼を告げると、私は再び封筒へと視線を移した。これを読まれてしまえば、私の気持ちが大ちゃんにバレてしまう。
 好きだと伝えたい気持ちと恥ずかしさから、私は大ちゃんの顔を見る事ができずに俯いた。


「っ、あの……。この手紙ね、1人の時に読んで……ね?」

「うん。わかった」

「誰にも……、見せないでね?」

「うん、大丈夫。絶対に誰にも見せないから」


 大ちゃんのその言葉を聞いてホッと安堵すると、私は肩から力が抜けてゆくのを感じた。
 いつの間にか、緊張で肩に力が入っていたようだ。


「……ねぇ——」


 頭上からの声に顔を上げてみれば、そこには怪訝そうな顔をしているめぐちゃんがいる。
 私はそんなめぐちゃんの口元を見つめると、ゆっくりと開かれる口の動きを目で追った。


「誰と、話してるの……?」