1



 風が冷たく感じられる様になったこの時季、一路が部活を終える頃には、もう辺りは薄暗くなっていた。1年生は上級生が帰った後に着替えるので、尚更帰宅する時間が遅くなる。

 学ランに学生鞄とは別に大きな補助バッグを肩に担いで、色白で短髪の扇郷一路が二人の友人と共に駐車場の近くの小さな非常門へと向かっていた。

 そこで門の向こうに水色のパーカを着た小学生がいるのに気づいた。

 何故こんな所に小学生が立っているのかと帰宅する生徒達が女の子に視線を向けては通り過ぎて行く。女の子の方もその生徒の姿を目で追っている。

 一路も疑問に感じながらも、その女の子に近づき声を掛けた。

「理麗ちゃん?」

 一路の声に、呼ばれたその女の子の顔がパッと明るくなった。

 女の子は一路の知り合いの貴城理麗。毎年夏に一路の家に貴城家が遊びに行っている。今年の夏も例年通り訪問したので、二人が会うのは三ヶ月ぶりだ。

 一路は小学6年生から急激に身長が伸びて理麗はその姿に驚いたものだが、今の一路は夏よりまた少し身長が伸びたようだ。身長は170センチ近くあるが、体型はまだ幼さがあって線が細い。

 理麗はそんな一路の姿をまじまじと眺めていた。

「どうしたの?」

 こんな時間に小学生の理麗がどうして中学校の前にいるのだろう。しかも理麗はこことは違う地区に住んでいる。そう考えると、ここで一路を待ち伏せていたとしか思えない。この寒さの中、一人で待っていたのだろうか。でも何故、家では無く態々ここに来たのか一路は理麗を見つめた。

 理麗は一路の表情を窺う視線で話し出す。

「この近くにじぃじの用事で来たんだけど、ひまだから抜け出して来ちゃった。イチロくんの学校見てみたかったし」

 理麗の鼻先が赤くなっている。随分前からここにいたのだろう。一路は周りを見渡した。

「一人?」

「うん。すぐ近くだから」

「………」

 理麗の話を妙だと感じて、一路は理麗の眼の表情をじっと見た。

 理麗は一路から視線を外したり、周りを見たりと落ち着きがない。笑顔も消えていた。

「誰? 一路の妹?」

 通り掛かりのクラスメートが声を掛けてきた。

「いや、知り合い」

「なんかあったの?」

「よく分からないけど…」

 突然訪れた理麗に、一路も言葉に困った。ここにいては注目されてしまう。それで後ろにいる友人に振り返って、

「ちょっと話して帰るから」

 と、断りを入れた。

「おお、じゃあな」

 友人達は気にする風もなく、軽く片手を挙げて了解した。

 友人を見送ると、周りの視線を気にして、自分達もその場を離れた。



                 ✴



 一路は、通りを挟んで向かいにある、小さな神社へと理麗を連れて行った。

「学校の近くに神社があるんだね。おみくじ引く?」

 屋根の付いた小さなポストの様な形をした、おみくじの自動販売機を指差して、理麗は一路に顔を向けた。

 一路はそれには答えない。

 周りを見渡しながら無邪気に境内へと歩いて行く理麗を見て、どこか不自然だと一路には思えた。

 この時季、昼間は暖かいが日が暮れるとぐっと気温が下がって寒い。ここにいると裏山から冷たい空気が侵食してくる。一路は腕を擦って寒さを紛らわした。

 すっかり暗くなった境内の灯籠に明かりが燈されている。朱色に塗られた灯籠の温かな光が辺りをオレンジ色に染め、静かな闇の中に境内を浮かび上がらせる。

 一路は少しの間、綺麗だなぁ、と見惚れていたが、話を進める為、

「で、どうしたの?」

 と、理麗に本題を促した。

 理麗は足を止め一路に振り返った。だが直ぐには口を開かない。何か考えている様だ。一路は話を急かせる事無く、理麗から話し始めるのを待った。

 理麗は右手をポケットに突っ込んで、ごそごそさせている。何か渡す物でもあるのかと、一路はその手元を見ていた。

 だがそれとは関係なく理麗は話出した。

「あの、あのね、ちょっと変な話をするけどね…。イチロくん、婚約の事どう思う?」

「コンヤク?」

 何を言い出すのかと一路は顔を顰めた。

「じぃじたちが勝手に決めた、二人の婚約だよ…」

 理麗に言われて、数年前に自分達が婚約していた事を思い出した。

「………。なんで突然そんな事…? 何かあった?」

「別に…。ちょっときいてみたくなって…」

 態々ここまで来て? と、一路は視線を投げかけた。

 疑譚した空気を感じ取った理麗が、慌てて話し出す。

「友達と運命の赤い糸の話で盛り上がって…それで、なんだか気になって…きいてみようかと……」

「運命の赤い糸…それで」

 女の子の好きそうな話題だと思った。そんな事で婚約が気になって、勢いでここまで来るだなんて、単純というか…。一路は少し呆れてしまう。けれど相手は小学生の女の子。そんなものなのかもしれない。一路はそれを顔には出さない様にして、静かな口調で話し出す。

「婚約っていっても、オレはまだ12だし、理麗ちゃんも小5だし、まだずっと先の事だし。正直そういうのは、そういう歳になってから考えればいいと思ってる」

「婚約はイヤじゃない?」

 理麗の大きな瞳が一路の顔をじっと見つめる。

 一路は直ぐには言葉が出なかった。そんな理麗の様子が気になって、

「理麗ちゃんは婚約がそんなに気になる?」

 と、一路の方が逆に訊いた。

「だって…ママたちはイチロくんを気に入ってるし、結婚するって信じてるよ?」

「そうなんだ…」

 理麗の言葉に、婚約している事が急にリアルに感じて、一路は少し驚く。

 一路は鞄に付けてあるストラップの時計を親指で擦る様に触る。

 一路としては特に意味無く触っていたのだが、その動きに理麗の方が気になって視線を止めた。

 ザワザワと木々が音を立てて冷たい風が襲って来る。

 肩まである理麗の髪が風で暴れて顔を覆う。理麗は両手で髪を整えると、風上の当たる右側の髪を手で押さえた。

「イチロくんのママは何も言わない?」

 確かに婚約者だとは言われたが、だからといって普段から結婚について家族から特別に何か言われているわけではない。

 たまに家に相手の家族が遊びに来たり、逆に向こうへ家族でお邪魔する事もあるが、その場でも婚約について話題が集中する事も無かった。だから理麗と婚約している事を普段思い出す事も無かった。結婚の話が具体的に進むのは、二人が社会人になってからだろうと一路は考えていた。

「そういう話は……」

「イチロくんは運命の赤い糸を信じる?」

 恥ずかしくなるような言葉を真顔で言う理麗。一路は思わず視線を逸した。

「そういうのって…目に見えないものって、どうかな」

 寒さで冷たくなった鼻先を指で擦りながら一路は言う。

「あたしとイチロくんは、赤い糸でつながってるとは思わない?」

 どんどんとぶつけてくる言葉に、一路は圧迫を感じた。それでつい、

「赤い糸って…、理麗ちゃんは女の子だからそういうのに興味があるのかな。男はあんまり考えた事ないと思うけど」

 と、素っ気無い言葉を吐いてしまう。

「でも、あるんだよ、赤い糸! だったらつながってると思わない?」

 理麗は更に一路に近づき今にも一路の体を掴んできそうだ。だがその手はパーカの裾をギュッと掴んでそれを堪えている。

 一路は理麗から視線を外した。

 小学生に力説されたところで「そうだね」と納得できそうにない。それに形の無い物について議論しても答えは出ないと思う。

 それより先程から風が強く吹き、体が冷えてきた。風邪を引いてはいけないし、もう帰った方がいいのではと一路は思った。

「ずいぶん暗くなったけど大丈夫? おじいさん心配してるんじゃない? 送ろうか?」

「……っ!」

 その言葉に理麗は顔を歪めた。

「いいよ、一人で戻れるから」

 小さく言って、一路とは視線を合わさずに鳥居へと歩いて行く。

「でも…」

 と言って、一路が着いて行こうとすると、理麗は強く首を振って、それを拒否した。