………
……
深い山のただ中で、いつしか。
時雨が降り始めていた。
流れる血潮をものともせず、谷底を這いずるように動いていた、獣は。
身を隠すのに丁度良さそうな、洞穴を見つけて中に入り。
……そのまま、力尽きて、倒れた。
「……お前さま……!」
獣に庇われて、無傷だったサヨは悲鳴をあげた。
まだ、何とか持っていた行李の中から、ボロ布を出して、獣の傷に当てる。
「ひどい傷……!
犬が来る前に、何とかしないと……」
何もないながらも、かいがいしく世話を焼くサヨに、獣は、うっすらと目を開けて微笑んだ。
「……ダイ……ジョプ。
アマ……ユキ……イヌ、コナイ」
「……時雨が降ってるから、犬は追って来れないの?
傷は痛む?」
「ウン……ダイジョプ……ダイジョウブ……」
獣は大丈夫、を繰返していたが。
傷の方は、ぜんぜん大丈夫なんかではなかった。
ひどい傷は、あっという間に熱を持ち。
獣は、熱さでセイセイと吐息をついた。
しかし、浅い洞窟の中には、もとより、薬も、食料もなく。
小さな行李をいくら眺めてみても、水の詰まった竹筒が出てくるわけでもなかった。
やむなくサヨは。
椀(わん)で時雨を汲んで、獣にそっと差し出した。
「……ウマイ」
熱に浮かされた獣が、僅かな雨雪を美味そうに舐めるのを見て。
サヨは、ほっとため息をついた。
母の命を縮めた時雨は。
獣とサヨにとっては命の糧になったようだった。
……
………
そんな、ヒトの思いは、知るべきもなく。
時雨はただ。
深山に。
しとしとと降っていた。
<了>



