数日前、サムが触れた場所はドレスの下にある。見えるわけはないのだけれど、誰にも秘密の熱は、いまだ深くシュティーナに染みこんでいた。
「ねぇリン、わたし、おかしくない?」
「今日は、ひときわお美しいです」
リンの笑顔に心が安らぐシュティーナだった。すると、ドアがノックされる。
「シュティーナ様。準備は如何ですか?」
イエーオリの声だった。リンと共に部屋を出ると、父もいた。
「お父様、体調は大丈夫ですか?」
「おお、少々尻が痛いぐらいで、なんともない。ありがとう、シュティーナ」
父は少し疲れの見える顔だったが、シュティーナの頭を優しく自分に引き寄せ、頭頂部にキスをしてくれた。そして手を引いてくれる。
「それでは、参りましょう」
イエーオリと王宮の案内役が先導してくれ、シュティーナは緊張に顔を引きつらせながら、歩いた。
シュティーナは父と一緒に、カールフェルト王とイングヴァル王子に会うための広間に通された。
下を向いたまま腰を落とし、礼をしたところへ「そうかしこまらずともよい。こちらへ」と低い声が聞こえた。 シュティーナは肩をすくめてしまう。
「ご機嫌麗しゅう、陛下」
父に促され、カールフェルト王とイングヴァル王子の前に進んだ。視線を少し上げると、お腹が出ていて髭の生えた顎までが、視界に入った。隣はもっと若い肌だ。
(こっちがイングヴァル王子……)
シュティーナは少しだけ、息を止めた。
「少し前に会ったばかりだったな。スヴォルベリ伯爵」
カールフェルト王に声をかけられた父が、顔をあげる。
「お心遣い感謝致します」
「途中、嵐などに遭わなかっただろうか?」
「幸い天候に恵まれたので。陛下の大好物のスヴォルベリの羊チーズもお持ちしましたよ」
「おお! それは嬉しい。早速夕食にいただくとしよう」
そう言えば、夕食を一緒にという話だった。王たちと一緒だなんて、緊張の上塗りだ。
それでも、カールフェルト王は優しい言葉をかけてくれているので、恐怖はそれほど強く感じていないシュティーナだった。
「準備もままならなかっただろうな。急がせて悪かった」
「俺がわがままを言ってしまったからですね。父上」
よく通る低い声だった。シュティーナはもっと視線を上げる。すると、大きく鋭い目がまっすぐこちらを見ていた。精悍な顔立ちの中にある青い瞳、栗色の髪。いっぽう、隣にいるカールフェルト王は体が大きく黒髪。イングヴァル王子は、いまは亡き王妃に似たのであろう。
「はじめまして。シュティーナ嬢」
(あれ、なんだろう……この感じ)
ふと、シュティーナは既視感に捕らわれ、イングヴァル王子の顔をじっと見てしまった。
「どうした、シュティーナ」
「具合を悪くなさったのか」
カールフェルト王も、まわりも皆が心配そうにシュティーナを見ていた。それに気付いたシュティーナはハッとして「シュティーナと申します。よ、よろしくお願いします」とか細い声で言った。
「噂に違わず美しい」
「ありがとうございます……娘は緊張しているようでして」
「そう緊張しないでください。長旅でお疲れでしょう。無理を言いましたから」
イングヴァル王子は席を立ち、シュティーナへ近寄った。
「無理を言って申し訳なかった。夕食まであと少しですが、部屋でお休みください。あとで迎えをやります」
イングヴァル王子はシュティーナの手を取り、微笑む。
「お言葉に甘えましょう、シュティーナ。わたしは陛下と打合せがあるので」
「わ、わかりました。お父様」
無意識に声が震えてしまう。緊張と不安で頭の回転が追いつかない。
兄のイングヴァル王子は戦好きと噂されている。たしかに、剣の腕や戦術に長けているのかもしれない。目の光りはきっと戦いの中に身を置くうちに強くなったのだろう。しかし、彼の向こう側にあるものを見てしまう。どうしてだろう。透かして、違うものを見てしまう。
(この感覚はなんだろう)
緊張に身を固くしながら、シュティーナは迎えに来たイエーオリに連れられて広間を出た。
「伯爵、この間の加工場新設の件なのだが……」
ドアを閉めるときに聞こえてきたのは仕事の話だった。