今夜はよく晴れた夜だ。屋敷へ向かう道は月明かりに照らされていた。来たときと帰りの色が違う。小高い丘に差し掛かると馬車窓からスーザントの町が見え、その前には銀色の粉をまぶしたように煌めく海が広がっていた。

「お父様。ごめんなさい。欺いて騙すような真似で屋敷を抜け出したりして。もう二度と、しません」

(サムに会いに行ったことに後悔は無い。けれど、心配をかけてしまったことは反省してるの)

 シュティーナの言葉を聞いて、父は低く呻くような返事をした。

「もうよい。わたしも悪いのだから」

「お父様……」

 父は額に手を当て、溜息をつく。

「お前を人質のようにして嫁がせるようになるとは思わなかった。すまない。イングヴァル王子が、スヴォルベリの平和と安全と引き換えに……お前を差し出せと」


 大きな溜息が、父の苦悩を思わせる。真面目で家族思いの父だ。同じくらい領土や家のことを思っているはずなのだ。シュティーナは分かっていた。王家は裕福で有名なスヴォルベリ伯爵家の持参金、将来的に領土が生み出す富も目当てなのだ。幸いどちらも未だ独身であるふたりの王子のどちらに嫁がせても王家としては困らない。金には力がありいろんなものに化けるのだから。

 父は、ここ数日ですっかり老け込んでしまったように見える。シュティーナが心配をかけたてしまったことも大きいだろう。悩みや不安が山積みで、心を痛ませているのだ。

 シュティーナは柔らかく微笑んでみせる。

「大丈夫よ、お父様。安心して。行きます」

「シュティーナ、お前」

「もともと、そういう運命と役割なのは自覚しています」

 そう言いながらもサムの顔がちらついてしまうのだけれど。振り払うように目をギュッと閉じた。

「そんな風に言ってくれるな。わたしはそういうつもりでお前を王家へ嫁がせる話を進めてきた訳じゃないんだ」

「分かっています。嫌味じゃないのよ、お父様」

シュティーナは父の手を握って言った。

「スヴォルベリを守ります。大好きなお父様と、お兄様、そしてお母様が生きてきたこの領土を」

(そして、サムが生きている町を)

自分が行くことで守れるのなら、本望だ。シュティーナはそう思った。

「帰ったら、すぐ出立の支度をします」

 湿る体は、切なくきしむようだった。シュティーナは父へ決意を伝えたあと、自分の肩をそっと抱きしめた。そこは、サムの腕が抱いたところだ。

 二度と触れられないから。思い出を肌に刻むように、シュティーナは自分を抱く指にぎゅっと力を込めた。