「とあるお店に入って食事をしたの。料理が最高に美味しかったのね。お腹いっぱいになると幸せな気持ちになるでしょう?」

「そうでございますね。生きていて良かったとさえ思うことがあります」

「でしょう? それでね、そこに案内してくださった殿方がいたのだけど、お店の料理人でね。わたしね、その方とお話して声を聞いて、お顔を見ていると、美味しい料理を口に入れた時と同じ感じがしたの」

 シュティーナは染まった頬を手で撫でながら言った。イエーオリの目がみるみる険しくなることに気付かない。

「殿方……ですか?」

「そう。見た感じ、お兄様と同じくらいの年頃かなぁ。髪が長くて青空色の瞳をしていてね」

「なんたる……」

 イエーオリは頭を抱え、ずれてもいない眼鏡を指で直した。

「シュティーナ様……その方は見目麗しい殿方だったのですね、きっと」

「そ、そう……だったかも」

 シュティーナは、思い出しただけでも乱されそうになる気持ちを隠しながら、平然と言った。言ったつもりだった。

「潤んだ目、火照った頬……なるほど。鼓動も速まりふわふわとした気持ちに」

「そ、その通りよ」

 イエーオリはまた指で眼鏡を触る。レンズがきらりと光った。

「ご自身で自覚されたほうがよろしいと思うので、ちょっと付け足しをさせていただきますが……お嬢様。ひとはそれを一目惚れと呼びます。恋です」

「ひ、こっ……?」

 一目惚れの、恋。
 シュティーナは益々顔を赤らめた。その様子を見てイエーオリは目を閉じて頭をゆるりと振る。溜息までついている。

「なんということでしょう……」

「ど、どうしたの、イエーオリ」

「シュティーナ様。よろしいですか」

 眼鏡の奥の柔らかい視線がシュティーナを優しく包む。

「シュティーナ様は、デザイド王国の第二王子に嫁ぐことが決まっているのですよ。そう簡単に他の殿方と会ったりしてはいけません」

「違うわ。そういうのじゃない。偶然だったのよ。最初から男性に会うために出かけたわけじゃないわ。それに本来の目的は食べ歩きなんだから」


本心だった。ただ、賑やかな町の雰囲気を味わい、美味しいものを食べてみたかっただけだった。それはイエーオリも分かっている。

「わたし、リンの言うことを聞かず走り出して転びそうになって、その時に助けてくださったの。うちの店で休みませんかと、美味しい料理を作ってくださった方なのよ?」

 そうだ。偶然の出会いだったのだ。一目惚れの恋は予定外だったにしても。

(イエーオリに言われて、思い出したら余計に顔が熱くなる)

「出会いはそうかもしれません。しかし、他の殿方に心惑わせるなど」

「別に心惑わされてなどいません! 料理が美味しかったから……」

 溜息をつきながら、シュティーナは口を尖らせる。

「嫁ぐっていっても、相手は行方不明だし、顔も知らないのに」

「シュティーナ様が知りたくないとおっしゃって、よくご覧にならないうち肖像画を暖炉にくべたりするからです。わたくしも見られませんでしたし」

「だって腹が立ってて。良く燃えたじゃない」

(ちらっと見た気がするけれど、青い目だったことぐらいしか覚えていないもん)

 赤い頬を膨らませたシュティーナに、イエーオリは溜息をついた。

「わたくしも、2年もシュティーナ様を自宅待機などとふざけたことをさせていることには腹を立てています。しかし……」

 シュティーナはイエーオリの目に父親と同じ光を見る。いつだってイエーオリはシュティーナを大事にしてくれている。

「自宅待機の生殺し状態だけれど、それでスヴォルベリが守られているのは分かっているわ」

「お嬢様……」

(伯爵家に生まれ、自分がどういう立場にあるのか、分かっているつもり)

 シュティーナは、部屋に飾られた花を指でそっと撫でた。

「でもこの先、自分がどうなるか分からない」