この名をユンジェにつけてもらってから、生きる心を持ち、生きる自分を持ち、己を認めてくれる人間に出逢えた。
 ユンジェを筆頭に、トーリャやリオ、ジセンが自分の生を願い、親しくしてくれた。身分問わず友になってくれた。また一緒にご飯を食べようと言ってくれた。

 それがどれだけ、ティエンを救ってくれたことか。

「あの子が死にそうになっているのにっ、なぜ私はじっとしておかなければならない。私はいつも、あの子に救われたというのに。あの子は私と一緒に生きたいと言ってくれたのに、なぜっ……」

 カグムはティエンにユンジェを見殺しにしろ、と言いたいのか。

 すると彼は、そうではない、とやや声音を強くした。

「ユンジェを見殺しにするわけではありません。しかしながら、夜の山は危険だと、先ほどハオも申し上げたでしょう。貴方様に何か遭っては遅いのですよ」

「計画が狂うからだろうっ! 貴様らは私を、私自身を必要とはしていないっ」

 そう、目の前のカグムだって、ティエンを必要とはしていなかった。はじめて出来た友だと心から信じていたのに。


 十二から十八の誕生日まで、カグムはずっと傍にいてくれた。
    

 お忍びで町に連れて行ってくれたり、弓を教えてくれたり、庶民のお菓子を買って来てくれたり。近衛兵として傍にいながら、友として接してくれたカグムのおかげで、暗い毎日に火がともった。

 なのに。ティエンはカグムに死を望まれてしまった。父や母、兄弟達と同じように。それがどれほどの絶望を与えたか、この男は知る由もないだろう。

 もしかするとティエンの知らないところで、カグムはずっと憎んでいたのやもしれない。呪われた王子である自分のことを。

 だったら、なぜ六年もの間、友のように接してきたのだろうか。ティエンの気持ちを弄んでいたのだろうか。見えないところで、慕う己を嗤っていたのだろうか。

 心から慕っていたからこそ、裏切られた憎しみも悲しみも計り知れないのだ。どうしたって許せそうにない。


「貴様は知らないだろう。谷よりも深い悲しみを、谷底より暗い絶望を」


 もう止められない。一度堰切った感情は濁流のように、己の中で暴れ狂う。この男だけは憎んでも憎み切れない。

「まことの孤独は死よりも恐ろしい。それを、味わったこともないくせにっ」

 短剣を抜く手も、頬に伝う滴も熱い。もうぐちゃぐちゃだ。

「ピンインさまっ」

「何が一年も探していた、だ」

「落ち着いて下さい。ここでは」

「あの夜、声を奪い、逆心を向け、強く私の死を望んだくせに」

「ピンインっ!」

「お前を友だと信じていたっ、私の心を返してくれ――っ!」


 突きつけた短剣が、半分ほど抜かれた太極刀によって弾かれる。と、同時に体を強く押された。
 押したカグムは、ほぼ条件反射だったのだろう。しまった、と呟く声が聞こえる。

 それを耳にしながら、ティエンの体は急傾斜へ傾き、そして滑り落ちていく。
 地面に体がぶつかる寸前、押した本人が庇うように、頭を抱きしめてきたので混乱してしまう。

 どうして自分はこの男に守られているのだろう。べつに少しくらい怪我を負ったところで、天士ホウレイの下は連れて行けるだろうに、なんで共に落ちる選択肢を選んだ?


(カグム、お前にとって私は――なんなんだ)


 景色が勢いよく流れ、流れて、ティエンの目の前は暗転した。