「じゃあ、宮部さん、私達、婚約しましょう」
 紗綾樺さんの言葉に、僕の心臓は飛び出しそうになった。
 もしかして、実は紗綾樺さんに再会してから、自分が事件の事をダシにして、紗綾樺さんに会えるなんて、邪なことを考えていたことを知られての当てつけなのか、考えても答えが出ないことだけど、ドキドキと高鳴る鼓動を抑えるのは難しく、口を開いたら声が震えそうだった。
「男女が二人で夕方宝石店を訪ねて怪しまれないのは、婚約指輪を買うというのが一番な気がします」
 続いた彼女の言葉に、僕は奈落に突き落とされた。
 これが、僕の心を読んだ彼女の作為的な罠だったのか、それとも、単に天然なのか、僕にはわからなかったが、それでも捜査のためとは言え、それも言葉の上だけとは言え、一時でも彼女と婚約できると思うと、僕の心は弾まずにはいられなかった。
 どうしよう、もし、本当に婚約指輪を買ってしまったら、彼女はどうするんだろうなんて考えながらも、僕は車を走らせた。


 ブランドショップのメッカとも言える銀座は、日が暮れてなお煌々とした明りに包まれ、昼にも増して人出も増えていた。
 隅々まで歩き尽くして見知った街でも、隣に彼女が乗っていると思うと、気持ちは捜査というよりもデートのように高揚してきてしまう。
 買い物をする予定がないので、デパートの駐車場ではなく、近くのコインパーキングに車を停めたが、公務員だと知っている彼女なら、貧乏人とは思わないだろうと、祈りながらの事だった。
「ここから歩いていきましょう」
 声をかけるまでもなく、彼女は降りる支度を整えていて、停車処理を終えた時には、彼女は身も軽く車のドアーを開けていた。
「夜になるのに、人が多いですね」
 彼女は周りを見つめて呟いた。
 彼女は、夜に一人で働いているとは思えないほど、驚いたように辺りを見回していた。
「じゃあ、行きましょうか」
 声をかけると、彼女はにこりと微笑んだ。
 婚約者のフリをするとは言え、まさかここから腕を組んで行く訳にもいかないので、先に立って僕は歩き始めた。
 裏通りから表通りに出ると、更に人出は多くなり、意識しての事ではないが、彼女との距離はどんどん縮まり、いつしか腕と腕が触れ合うほどの距離になっていた。
「あそこです」
 交差点を挟んだ反対側を指さすと、彼女はじっとデパートを見上げた。

☆☆☆

 宮部に示された場所を見つめると、巨大なデパートが聳え立っていた。
 命のない石やコンクリートから記憶を引き出すのは困難だけれども、幸運にもデパートの正面には銀杏が定間隔で植えられていた。
 人は意識していないだろうが、意外と樹木は記憶力がよく、丁寧に訪ねれば教えてくれる。勝手に記憶の中を覗いて、目的のものを探さなくてはいけない石とは違う。もちろん、石にだって心が宿っている場合もある。それだと、会話が成立さえすれば、いろいろと細かいことも教えてもらえる。
 とりあえず、崇君のいなくなった場所を見つけようと、頭の中で宮部の記憶から取り出した崇君のイメージを思い浮かべる。


『ねえ、この子を見ていない? ちょっと前の事なの。』
 心の中で問いかけると、木々や石たちが反応する。共鳴するように意識が絡み合い、白いバンに崇君が乗ろうとしている姿が脳裏に映る。
 あそこだ、あの木の脇から車に乗ったんだ。
 私は確信すると、信号が変わったと同時に宮部を置いて木に走り寄った。
『これは、これは、珍しい。このような街中でそなたのようなものに出会うとは・・・・・・。』
 木と、足元の小さな草木も、人には見えない姿を現す。
 『訪ねたいことがあるの』と切り出そうとした途端、皆が一斉に口を閉ざした。


「紗綾樺さん!」
 私の耳に、宮部の声が届いた。
「どうして、ここがわかったんですか?」
 その問いかけが、『崇君が目撃された最後の場所』だと告げている。
「すいません、しばらく黙っていてください」
 私は宮部を顧みず、皆の事を見つめる。


『お願い、教えて。男の子が居なくなったの。』
 私は、もう一度問いかけた。
『それが、いったいどうしたというのだ? 人の人生は短い、生れ落ち、すぐに死んでいく。その子供も、もう死んだのではないのか?』
 長い年月を生きたであろう銀杏の木が答えた。
『そんなことはない。人は長生きだ。私たちの何十倍も生きる。』
 一年草の草木たちは口々に異を唱えた。
『お願い、教えて、その時の様子を見せて。』
 私は諦めずに、もう一度頼む。
『狐つきがこのようなところで、いったい何をしようというのだ? その子供は、お前の何なのだ? 贄か?』
 今まで、何度となく私は『狐つき』と呼ばれていたので、今更その事は気にならなかったが、さすがに『贄』と言われると抵抗があった。しかし、肯定する以外、この場で口の重い相手に話の先を促すことはできそうにないと感じた。
『そうよ。その子は私の贄、人間に横取りされたの。』
 私が語気を荒くして言うと、相手はしばらく考えてから、私の頭にその時の様子を流し込んでくれた。


「本当にディズニーランドに連れて行ってくれるの?」
 スライドドアーの中を覗き込みながら崇君が問いかけている。
「もちろん、お父さんから頼まれているからね。でも、お母さんには内緒だよ」
「お父さんも一緒に行かれるといいのに」
「お父さんはお仕事があるから、代わりにおじさんが頼まれたんだよ。さあ、崇君乗って」
「はい。ありがとうございます」
 崇君は、自らバンに乗り込むと、スライドドアーを閉め、シートベルトをした。


 記憶から離れる瞬間、眩暈がした私を宮部が支えてくれた。
「大丈夫ですか?」
 宮部の顔は心配げだ。きっと、顔色も蒼くなっているのだろう。
「大丈夫です。・・・・・・お店に行きましょう」
 私は宮部に支えてもらいながらも、宮部を促した。
 一瞬、ためらいを見せたものの、宮部は私の腕を取ってデパートの玄関をくぐった。