結婚から8年目、私は宝泉家にようやく授かった子供だった。
世界でTOP10に入る実業家の元に生まれれば、何一つ不自由などなく、それはそれは可愛がられて育つ。
子は親を選べないと云うけれど、私には受精前に選択権が与えられたのではないかと思うほど。
それか、前世のそのまた前世から不幸な死が続いていたか。
こんな環境だから、友達なんて自分から作る必要はなかった。
卑しい親の差し金で、勝手に向こうからやって来るからだ。
そんな(友達)は、何でも私の言うことを聞いた。
みんなが操り人形のような感覚を持ちはじめた幼少期を経て、小学3年生ぐらいになるとある自覚が芽生える。
父の会社の跡継ぎだ。
普通は男がなるものだけど、母はもう40歳を越えている。もうひとり子供を産む可能性は低かった。
だから、やがて一人娘である私に白羽の矢が立つ。
それに父自身も、できるだけ早く経営の第一線を退いて、政治家になりたいと言っていた。
女の子らしい習い事から勉強にシフトしたのはその頃。
男の子のように偶像のヒーローに憧れたりはしない。代わりに、私にとってのヒーローは父だった。
本屋に行けば、父の顔がたくさん平積みされている。
何度も家の中にテレビカメラが入ってきて、
『成功の秘訣? 私はね。こんな時代でも、妻が働きに出なくてもいい会社を作ろうと努力してきた。社員第一、利益二の次。その思いが間違っていなかっただけ。成功に導く答えなんかあったら、潰れる会社は1つもないよ』
カッコよかった。
広い大豪邸にお手伝いさんが一人もいないのだって、父の慈悲深い優しさがあるから。
父のようになりたい。
物心ついたときから、私の思いはその一点だけ。
だから、やめようと決めた。友達に( )を付けるのは。
そんな価値観じゃ、到底父のようにはなれないと気付いたから。