6年生になった頃、机の上は参考書の山になっていた。

正直、私には必要ないと思っていたが、出不精の母がしきりに外へ出て買ってくるのだから、活用しないわけにはいかない。

何を隠そう私より、はるかに母のほうが中学受験に躍起だった。

それも担任が、

『大貫さんなら、もっとレベルの高い海外の学校も引く手あまただと思いますが……』

って太鼓判を押しても、

『いいえ! 娘は絶対に開桜に行かせます!』

と華麗に突っぱねるぐらい、開桜への異常な執着。

もしかしたら出身がその中学校かと思い訊いてみたが、母は京都で生まれ育ったらしい。

謎だ。他にもある。

幼稚園も小学校に上がっても、私が家を出るときは必ず見送り、帰ってくると必ず出迎える。

大きなサングラスにツバの広い帽子を被った目立つようで目立たない恰好で買い物に出ることはあるが、働いている様子はない。

なのに、食べ物や生活に不自由したことがなく、私立中学へと進学させる始末。

歳を重ねるにつれて、私たち親子が暮らしていく財源が気になっていた。

だからといって、養われている子供が口を出すことでもない。

でも、ただひとつ分かったことがある。

卒園式や入学式の門出は迎えだけ、授業参観と学校行事に至るまで、母は学校に姿を現さなかった。

6度もあったすべての運動会も、

『家が近いんだから、帰ってくればいいじゃない』

なんて。

家庭訪問に関しては拒否しなかったが、先生とまともに目を合わせて話そうとしない。

すなわち、ひかえめで無口な性格は、れっきとした遺伝でもあるということ。

受験と卒業が間近に迫る6年生の冬。

勉強に付き合ってくれているそらの様子が、その日はどこかおかしかった。

『集中してないね!』

と私が言うと、彼女はバッグから何かを取り……。

『渡したい物があるの』

そう恥ずかしそうに、私へ差し出す。

ラッピングされ、可愛いリボンも付いたそれを開けてみると、

『筆箱……?』

『そう!』

私のために、プラスチック製の新しい筆箱を買ってくれていた。

蓋の内側に「ガンバレ!」のメッセージを添えて。

『そら゛……ッ゛』

本当にこの子は、私を泣かせてくれる。

『ねぇ……、さっちゃんのその筆箱、よかったらうちにくれない?』

いつも近くに感じていたいから。彼女はそう続けた。

『ダメ?』

なわけがない。私は大きく首を振り、中の文房具を新しい筆箱に移し替えて渡す。

『絶対大事にするから! ありがとう、そら』

初めての宝物。

あの日が来るまで、毎日「ガンバレ!」のメッセージに励まされていたのは言うまでもない。