半年後。
これから多感な思春期を迎える磨理子に配慮して、ふたりの間で子供は作らないようにしよう。
君江と籍を入れる前にした約束だ。
幸い彼女はまだ若く、娘が物心つくのを待ってからでも、十分に子供を産める可能性はあった。
私のそんなわがままを受け入れてくれた“妻”。
ちょうどその頃から、磨理子に大きな変化があった。
これまで自ら磨妃の仏壇に立とうとはしなかったが、毎朝必ず手を合わせて家を出るようになる。
「ママ、行ってきます」
そうつぶやいて。
帰って来たときは、大きな声で君江にこう言うそうだ。
「お母さーん、ただいま!」
磨理子は私よりも、過去としっかり向き合っているのかもしれない。
生まれたころに思い描いた理想の娘像よりも大きく、まっすぐ純粋に育っていく。
だから私は、磨理子の選択に口をはさんだことはなかった。
かといって、放任主義ではなく、あくまで娘の思いを尊重したいという理由からだ。
立派な社会人となった直後、それも突然、
『私、結婚する!』
と言い出した時も、本人がしっかり考えて決めたことならと承諾。
すぐに、磨理子は大阪へ嫁いだ。
結納に、挙式や披露宴。表立ったものは一切行わず。
親心には一生に一度だからという思いがあったが、私が警察の人間だけに、相手方が構えてしまうのは目に見えている。
であるから、夫になる男にも、その家族にもまだ会っていない。
これが、親としての最大の過ち。
「これで夫婦水入らずね」
君江はそんなことを言っていたが実際は、少し前からそうだ。
磨理子は寮に入って大学に通い、東京の大手アパレル企業に就職。
家を出たのが、かれこれ6年前。
その頃から、君江は子供を授かりたいと強く願い、私にその胸中を打ち明けていた。
だが私は、またも仕事を優先させてしまった。
年齢を重ねることでつきまとう責任と期待は、そう易々とかわせるものではない。
世の中の男がほとんどそうだからと言い訳をし、社会の荒波にもまれながら、必死に泳いでいた。
叩き上げの私が、とうとう県警の幹部にまで登りつめたその矢先。


