小学校にあがると、毎朝、娘の長い髪を櫛で梳くのが日課になった。
鏡に映るその顔は、年を重ねるたびに磨妃へ似てゆく。
妻は、ここに生き続けている。そんな風に安らぐ大切な時間だ。
もちろん、まだまだ手はかかる。
名前入りの雑巾を持ってこいだの、劇の衣装を作れだの、学校生活に必要なものをそろえるのもひと苦労。
不器用な私は裁縫が一番苦手。
それを見かねてか、夏休み前に担任の佐伯先生が家にやって来た。
ショートカットが似合い、器量もよく、娘も慕っている若い女性だ。
「兵藤さん、ご無理なさってませんか?」
「いえいえ、私は全然!」
家庭環境に問題があると判断されたら厄介だ。
私は、どうにか必死に取り繕う。
しかし、先生はそういうつもりで来たのではなかった。
「実は、私も父子家庭だったんです。小さい頃に母を病気で亡くして……だから、他人事のように思えなくて」
切なげに話す彼女の表情に、苦労を垣間見る。
大人よりも、子供は敏感だ。
「せんせー! あっちで遊ぼっ!」
普段はひとりで寡黙に遊んでいる磨理子が、彼女の薄手のブラウスを引く。
「え……いいですか?」
「もちろん!」
和室に飛び交う笑い声。
髪型はちがえど、ふたりのうしろ姿はまるで親子のよう。
私は仲間に入れてくれないのか……と嫉妬するぐらいに、仲睦まじかった。
それからも、たびたび先生は私たち親子を気にかけてくれた。
得意の料理を振る舞ってくれたとき、娘が寝付くまで添い寝をしてくれたとき、母親の存在価値を痛感する。
それは親心だけでなく、幼心にも。
いつからか、娘は彼女のことを“先生”と呼ばなくなった。
どう位置づけていいのか、戸惑っていたんだと思う。
このままその優しさに甘えていてはいけない。
そう思った私は、先生と話し合う時間を設けた。
「色々と、本当にありがとうございます。でもこれ以上は、娘に変な期待をさせてしまう」
「期待?」
「……母親のぬくもりですよ。もうすぐ磨理子も2年生です。この1年、お世話になりました」
「…………」
しばし沈黙した後、彼女は言う。
「私、まりちゃんのお母さんになりたいです」
この言葉には当然驚いたが、同時に込みあがる嬉しさ。
私が君江に対して好意を抱いていた証拠だった。
変な期待をしたくなくて苦しかったのは、他でもない私自身。
磨妃のことを忘れたわけじゃない。今も変わらず愛している。
ただ、思い出だけじゃ心細すぎた。
程無くして、君江は家を引き払い、私たち親子の仲へごく自然に溶け込む。
しかし……。
それは、愛が狂気と化す家庭の起源だった。


