医師の診断は、【脳血管性認知症】だった。

何度も同じ話をするのは、クセじゃなかったのだ。

「もっと早くに、症状が現れていたと思いますが……」

気を遣いながら言った医師の言葉を、今でも忘れられない。

仕事にかまけ、妻に甘え、まったくもって気付いてやることができなかった。

「すまない、本当に……。お前のことを、もっとちゃんと見ていたら……」

妻の前で、初めて涙を流した私。

「いいのよ。あなたの正義は市民を守ること。私の正義は、家庭を守ること。あなたの仕事は、私や磨理子だけじゃなく、たくさんの家族をしっかり守ってくれているの」

自分の病を知ってつらいはずなのに、仕事で帰れない私のことを思って、子供をあやすように頭を撫でてくれる。

この変わらぬ優しさ、真心の深さ、そして哀しさ。

妻を病院に残し家に帰り、薄暗い玄関で泣きながら娘を強く抱きしめたとき。

「パパー? いたいいたいの?」

磨理子もまた、私の頭を小さな手で優しく撫でた。

このとき、誓ったんだ。

今までは人間の内に潜む悪と闘ってきた。

これから私が立ち向かうべきは、妻の身体を蝕む病魔という悪だと。

今度は、退職願を書いた。

つきっきりで妻を看病するために。

だが、今度は保留にされ、ほどなく辞令が出る。

県警本部への異動、事実上の昇格。

暦どおりの休みに、適正な勤務時間。

検挙率の功績が認められたのもそうだが、病床の妻と小さな子供がいる私への配慮だった。

その人事を受け入れ、新しい業務にも慣れた頃。

双方の親の協力もあり、妻を退院させ、家で面倒を看ることにした。

いつ、なにをして、どこになにがあって。

生活動線にたくさんの付箋が貼られ、その数は私たちの苦労と比例していた。

「お嬢ちゃん、カワイイわね! お名前は?」

「ひょうどうまりこですっ!」

「何才?」

「5才ですっ!」

「あら~、元気があっていいわ!」

何回も繰り広げられるこの会話。

娘は自分の名前と年を言う練習だと思っているが、実際はそうじゃない。

症状に波があり、時折妻は娘のことを忘れるようになっていたのだ。

この先、物心がついたとき、磨理子はひどく傷つくだろう。

それだけが気がかり。

私はいいんだ。

普通の夫婦なら、結婚記念日を迎えるたびに馴れ合いが増す。だけど私たちは、常に新鮮な気持ちでいられる。

所詮、強がりだとしても、妻を愛するこの思いが一生変わることはない。

だから、あの日のことも一生忘れることはないだろう。