――――あれ……?


 でも、何も起こらなかった。

 絶対キスされちゃうと思ったのに……


 そろりと目を開けると、少し遠退いた諏訪さんの顔。訳が分からずポカンとしていると、彼は口元に弧を描く。


「――――期待しただろ」


 その言葉に、顔も気持ちもカッとなった。


「してませんっ! 馬鹿な冗談言ってないで早くどいて下さい!!」


 私の剣幕に楽しそうに笑いながら、諏訪さんはやっと身体をどけてくれた。すかさず起き上がったが、心臓が破けそうなくらいドキドキしてる。

 諏訪さんは何食わぬ顔で、床に置いていたスーツの上着とネクタイを拾い上げた。そしてそれを羽織ると、まだ呆然としている私に言った。


「そろそろ俺、仕事行くよ。一晩、お世話になりました。神楽木は休日を楽しんで」


 まるで貴族のように胸に手を当て一礼すると、彼は部屋を出て行った。玄関を出る時に、コーヒー御馳走様、と余裕の言葉を残しながら。




 ――――か! からかわれたんだ!!


 諏訪さんが去ってしまうと、脳みそに急激に血が上った気がした。そして悔しい。


 なんなの! あの人なんなの?!

 悔しい! ムカつく!!


 うつ伏せにベッドに倒れ込む。

 枕に顔を付けると、まだドキドキしている心臓が耳に音を響かせる。他には何も聞こえないくらい。

 昨夜の懇親会で、セクハラ親父に絡まれていたのを、偶然かもしれないけど助けてくれて。お酒が苦手な私が、お酒を飲まないでいいようにしてくれたり。

 少し……嬉しかったのに。