「さっきの話、と仰いますと、」



「ルノと婚約者になるって話」



……うん。

驚きすぎたら人って声が出なくなるんだな。っていうかもう、ここまでくると、驚くことに慣れたのかもしれない。何も言えなくなる。



「ぜひとも、婚約してちょうだい?

大丈夫、書面だとかそんなものは必要ないの。ルノの婚約者を聞かれた際に、あなただって答えるから名義を貸してもらう程度よ」



実際には結婚しなくて良いの、と微笑む彼女。

この人も底知れないな。さすが理事長の妻。



「表向き婚約者であれば、ルノには婚約者がいるからって婚約の話を断れる。

それに。……ルノが気持ちを整理できるでしょう?」



ああ……そういうこと、か。

実際に結婚はしなくてもいい。だけどこの先ルノがどう出るのかも、本人に任せる、と。




「誰だって好きな相手と結婚したいわよね。

ルノにそういう相手がいるって、ルアから聞いてたけど。……そのあなたが婚約者でいてくれるなら、いろいろと助かるから」



「ルノがそれでもいいなら……」



「ルノ、良いわよね?」



母親から聞かれて、「いいけど……」と、小さく返しているルノ。

状況が理解できてないってことはよくわかった。俺らもまだ彼女が何者なのかよくわからないし。



「あ、でも……今回は運が良かったんです。

わたしの名前は、政治家の中でもかなりの大物でない限りは知らないはずですから」



ますますわからなくなる。

両親が研究者なのに政界に繋がりがあるその理由も、大物政治家がたった一言で婚約を解消してしまうほどのその権力も。



八王子と珠王でさえ敵わない何か。

そのすべてを、知った時には。──もうとっくに、手遅れだったけれど。