たぶん、弟っていうのがどんなものかははっきりわかっていなかったと思う。

だけど友達には弟や妹のいる子がいて、兄弟が同じ家に住む家族だっていうのは、幼いなりに理解していた。



「うん、弟。椛がお兄ちゃんになるんだよ」



「おにいちゃん……」



かっこいい響きだった。

それは俺の友達の中に、もう既にお兄ちゃんだったり、もうすぐお兄ちゃんになるって子がいたから。お兄ちゃんっていうのは、俺の中ではかっこいい響きで。



「椛。弟と、仲良くできる?」



「うん、できるよ」



即答した俺の頭を撫でてくれた父さんは、いつもと変わらない優しい笑みだった。

優しい笑みで、温かい手で、俺の頭を撫でてくれた。




まだ知らなかったんだ、何も。

この時の俺は幼くて、まだ何も、知らなかった。



ここからの話は、少々6歳児目線で語るのは難しい。

だから中1になって過去を振り返り、ようやく現実を知った俺がその頃を思い出して語ると思ってくれればいい。



引っ越した先は、本当に狭いアパートとは比べ物にならないほど広くて綺麗な一軒家だった。

何より感動したのは、自分の部屋があったこと。



狭いアパートの中じゃ空間を分けて使うのが精一杯で、広い自分の部屋だけでも嬉しさがおさまらないほど。

何度もぐるぐると部屋を見回す俺に、父さんは笑ってた。



笑ってたけど。

……だけど現実は、甘くなかった。



「遅くなってごめんなさい」



耳を撫でたのは母さんとは違う柔らかな声。

はじめて聞いたその声に顔を上げれば、部屋に顔を覗かせた彼女は、やっぱり母さんとは違う女の人だった。違って、でも、綺麗な人だった。