うつりというもの

黒い靄。

「!!」

叫びたかったが、声が出なかった。

恐怖からじゃない。

何かに喉を押さえられているかの様に、声が出せなかったのだ。

それがはっきりと見える前に、美智子はベッドの反対側のフローリングの床に転げ落ちた。

そして、恐怖から言うことを聞かない身体を、何とか壁まで這う様に移動させ、壁に手を突くと、ゆっくりと後ろを振り返った。

ベッドの向こうに見える黒い靄に浮かぶ目は、やっぱりさっきの顔だった。

こんな暗がりの中でもわかる虚ろな目が、彼女を見ていた。

彼女は背中を壁に預けながら、何とか立ち上がろうとした。

さっきは気付かなかったが、少しはっきりと見え始めたその顔は女性だった。

覗き魔じゃ、ない…

余計に美智子は恐怖した。

そして、その顔はこっちに近付いてきた。

「!!!!」

声にならない叫びを上げて、彼女は立ち上がれずに壁に背を預けたまま床に座り込んだ。

そのまま、這って外に逃げようとした。

でも、ドアの方に向いた瞬間、目の前に誰かの足があった。


視線は上に引きずられ、誰なのか見ようとしたその直後、小木家の2階から、フローリングの床に響くゴトッという音がしたが、当然、近所で気付く者はいなかった。