うつりというもの

遥香が読んでいくと、そんな感じだった。

そして、今回の一連の事件の理由が分かる大事なことが書かれていた。

「先生、これ…」

遥香は日記を見せた。

受け取った教授はしばらく黙って読んでいた。

「封印?」

教授は遥香を見た。

「ええ」

遥香は頷いた。

広田三郎は、霊力の高い熊野系の修験僧に出会い、うつりの封印を試みたのだった。

それは、その頃の被害者と思われる事件の場所から、世田谷区の中にうつりがいると判断し、結界を張ったものだった。

世田谷区北西部の永凛寺(えいりんじ)、北東部の鶴円寺(かくえんじ)、南西部の道空寺(どうくうじ)、そして、南東部の宗律寺(そうりつじ)に修験僧慈澄(じちょう)が霊力を込めたお札を設置して結界を張った。

最初の結界は30年前の昭和62年だった。

その後、うつりの被害と思われる事件がなかったため、結界が効いていると思われた。

広田は、その中で、何とかしてうつりを探し出し、退治する手立てを考えていたが、慈澄でも、そこまではできなかった。

ところが、東京都の道路事業で、南東部の宗律寺が取り壊され、すぐ近くに移転した。

慈澄は、移転を知るとすぐに新しい宗律寺に結界を貼り直した。

それが、17年前の平成11年だった。