うつりというもの

広田は、広田家の発祥の青森や各地を調べ歩いた。

まず、うつりがどこから発祥し、どんなところに現れるのか。

それについて調べ歩いた。

広田はうつり除けがある地域を調べまわった。

そのうち、うつり塚の存在を知った。

うつり除けがある地域にはないので、 あまり関係はないかとは思ったが、そこから生まれるものかもしれないと調べた。

藤実町のうつり塚も鍵を壊して入って調べたし、他の町のうつり塚も調べたが、首塚であること以上は分からなかった。

うつりの噂から、勝手に首塚に恐怖心を抱き、うつり除けみたいなものを付けただけだとも思われた。

自分の妻が東京で被害者になったことからも分かっていたが、うつりの被害らしき事件は時と共に南下していた。

それとは別に、先祖の恒貞が描いた絵が山形の旧家にあるとの噂を知った。

その山科家を訪ねると、確かに恒貞の描いたうつりの絵があった。

その絵は、何代か前の当主が手に入れた物だとの話だった。

広田はその絵を見て、漠然としていた『うつり』というものがどういうものか、はっきりと分かった。

すると、一つの言い伝えと相反する気がしていた。

その言い伝えとは、『うつりには悪気がない。だから恐ろしい。悪気はないが、邪魔をすると殺される』というものだった。

その意味する事は、結局分からなかった。

山科家の当主は絵を返すと言ったが、広田はその言い伝えを思い浮かべた。

自分は、うつりにとって『邪魔をする者』に当たる。

広田は、手元に置いておくのは危険かもしれないと、それを丁重に断ったのだった。