世田谷区 広田家
その駅は、遥香の家から都内方面に2つ手前の駅だった。
この辺の私鉄の駅前はどこも似たり寄ったりで、駅前広場と呼べるものはあまりなく、ちょっとした商店街を抜けるとすぐに住宅街になったりする。
駅の改札前で教授と落ち合うと、西口から出て北へ歩いた。
10分くらい歩いた閑静な住宅街に、その家はあった。
生け垣に囲まれた古い木造の平家で、少し庭もあった。
年季の入った表札といい、この地の古い住人であることは想像がついた。
誰かいる気配はあった。
教授が石造りの門柱のインターホンを鳴らした。
しばらくして、中年の女性の声が聞こえた。
最初は少し怪訝そうな対応だったが、大学教授であることを伝え、自費出版しようとしていたことを知っていたことからその女性が戸を開けた。
「どうぞ」
「突然すみません」
二人で頭を下げた後、応接間に通された。
その50代後半の女性は広田三郎の娘、三和(みわ)と名乗った。
その駅は、遥香の家から都内方面に2つ手前の駅だった。
この辺の私鉄の駅前はどこも似たり寄ったりで、駅前広場と呼べるものはあまりなく、ちょっとした商店街を抜けるとすぐに住宅街になったりする。
駅の改札前で教授と落ち合うと、西口から出て北へ歩いた。
10分くらい歩いた閑静な住宅街に、その家はあった。
生け垣に囲まれた古い木造の平家で、少し庭もあった。
年季の入った表札といい、この地の古い住人であることは想像がついた。
誰かいる気配はあった。
教授が石造りの門柱のインターホンを鳴らした。
しばらくして、中年の女性の声が聞こえた。
最初は少し怪訝そうな対応だったが、大学教授であることを伝え、自費出版しようとしていたことを知っていたことからその女性が戸を開けた。
「どうぞ」
「突然すみません」
二人で頭を下げた後、応接間に通された。
その50代後半の女性は広田三郎の娘、三和(みわ)と名乗った。

