古川の家は、時の鐘を過ぎて、少し観光地の雰囲気がなくなった辺りにある古い一軒家だった。

黒っぽくなったブロック塀にあるインターホンのボタンを押した。

すぐには反応がなかった。

「居ないかな…」

そう思った時に、『は~い』と、懐かしい嗄れた声が聞こえた。

「あ、ご無沙汰しています。渕上ですが」

遥香はインターホンに顔を近付けて言った。

『え?渕上さん!?あ、ちょっと待ってね』

しばらくして、玄関のガラス戸に人影が映った。

横開きのガラス戸が開くと古川が戸惑った顔を見せた。

遥香はそれに気付かないように頭を下げた。





「いやぁ、久しぶりだねぇ。元気にしてたかい?」

卓袱台にお茶を置きながら古川が言った。

「ええ、とりあえず」

遥香は口元だけに笑みを浮かべて言った。

「あの時は、本当にすまなかったね。まともに退職金も出せなくて…」

「いえ、それはもう…」

遥香は軽く手を振った。

「今日は別の用で来たので」

「え?別の用?何だろ?」

古川はきょとんとした。

「会社をやめる直前にあった自費出版の依頼を覚えていますか?」

「自費出版?えっと…」

「うつりとか何とかいうのですが」

「あ、ああ!あったね。あの妖怪のやつだ」

古川が手を打った。

「え?やっぱり妖怪ものだったんですか?」

「うん、そう。確か。まだ中を検討してもいなかったからどんな内容かも覚えてないけど」

「その原稿はどうしたんですか?」

「え?返したけど。うちじゃ出せなくなったし」

「その依頼者の名前とか住所が分かりますか?」

「ああ、多分。ちょっと待ってね」

そう言って、古川は席を立った。