ばいばい、津崎。



10年前、私たちは名無しの関係だった。

大切だという気持ちはあったけれど、明確な名前を探さずにあの夏を過ごした。

いつも傍にいると思っていた津崎が急にいなくなって、私は空っぽになった。そんなに心が津崎で埋め尽くされていたなんて、一緒にいた時は気づきもしなかったのだ。


「あら、てっちゃんのお友達?」

その時、リビングのドアが開いて、そこから哲平のお母さんが出てきた。


島に住んでいるとは思えないほど垢抜けた雰囲気を持っていて、すごく美人。たしか若い時はモデルをしていて、そのスタイルの良さは高校生の息子がいるとは思えないぐらい。

哲平のお父さんもイケメンだった記憶があるし、この美形のDNAはしっかりと哲平にも引き継がれているなって思う。


「そんなところで失礼でしょう?家にあがってもらいなさい」

そして、しゃべり方も上品だから自然と緊張してしまう。


「い、いえ!結構です……!」

私は猫を抱いたまま、スッと座っていた腰をあげた。


お茶なんて出されたら緊張しすぎて絶対にこぼしてしまいそうだし、哲平のお母さんはなんだか島の人たちとオーラが違うから身構えてしまう。


それでも「あがって」と言われたらどうしようかと思ったけど、断った私にお母さんは無理強いすることはしなかった。


「あ、そうだ、てっちゃん。猫を触ったあとは手を洗って毛も一本も残さずにお掃除してね」

お母さんの視線は私ではなく哲平に向く。


「それで専用の部屋に戻しておくのよ。私、猫の世話なんてしたくないし、全部自分でやるっていう約束だったものね?」

「大丈夫。言われなくてもやるから」

哲平の言葉にお母さんはニコリと笑って、リビングを出ていった。