恋蛍2

病院の雰囲気が苦手、ってなんでかね。
嫌な思い出でもあるのかもしれん。
翔琉みたいに病気がちだったとかさ。翔琉も消毒液とかの匂い苦手やしな。
それで、例えば、小さい頃に手術しよった、とかいろんなことあったのかもしれんしな。

でも、病院の雰囲気が苦手なのは大変だね。
風邪引きよったりしたら、どうするのかね。我慢して病院にいかなきゃならんのは大変だよね。


……まあ、世の中、いろんな人間がおるもんだ。


そんなことを悶々と考えながら、外に出て行った彼女の後姿を見ながら、玄関でスリッパからサンダルに履き替えていると、「おまたせ」と葵先生に肩を叩かれて顔を上げた。


「あれ? いろはは?」


周囲をぐるりと見渡しながら、葵先生が鍵を差し出してきた。


「はい、鍵」


葵先生の家は、オレの家の斜め裏にある。
広い庭のある平屋にひとりで暮らしとる。


前は父親とふたりで生活していたけど、2年前、70歳を目前にニライカナイに旅立ってしまった。
肺がんだった。


「ああ、外におるよ。病院の雰囲気が苦手、言っておったけど」


鍵を受け取り、硝子のドアの外を指差すと、


「……そうかね」


と葵先生が苦笑いして、ちょっとだけ肩をすくめた。


彼女は外で潮風に黒髪をなびかせながら、こちらに手を振っている。

「あのさぁ、結弦」

葵先生は彼女に手を振り返しながら、オレに言った。


「あの子の部屋、玄関入っていちばん奥の突き当たりだからさ。荷物は全部そこに運んでおるから。そう伝えてくれんかね」


「うん」


「それと、お腹へったら冷蔵庫の中にいろいろ入っとるからって言って。キッチンも自由に使っていいよって。あの子、料理は特異なはずだからさぁ」


「エー、分かったさ」


じゃ、と踵を返したオレの腕をとっさに捕まえて、


「待って、結弦」


葵先生はなんでかヒソヒソ小声になった。


「注意深く見守ってくれんかね」


「は? 見守るって、あの子のことか?」


うん、と頷いた葵先生は口元に笑みを浮かべて優しい表情だったけど、目だけは笑っていなかった。
なにかを必死に、真剣に訴えかけるような。
怖いくらい真っ直ぐな目だった。


「注意深くってなんでね?」


なんかあるんか? 、聞くと、葵先生はオレの腕をぱっと離し、不自然にぎこちなく目を反らした。