「百乃、申し訳ありませんが、今回仕事を請けるのはそちらの紫苑ではなく、ご学友の如月椿です」

ご学友、というところを妙に強調された気がする。同じコースなのだから間違ってはいないと思うが。そして三日月紫苑が雲母を睨んだ気がするのは気のせいではない。

「あら、そうでしたか。それは大変失礼をしました。椿さま、改めまして、どうぞよろしくお願い致します」
百乃さんは俺にも丁寧に頭を下げてくれたが、うなずいて良いのかがわからない。仕事の内容もわからないし、そもそもやるともまだ言っていない、気がする。

俺のその気持ちを読みとってくれたのか、雲母が「百乃」と彼女の頭を上げさせた。

「椿、あなたには絵を描いていただきたい」
そのうえで、雲母は俺に向き直る。

「それが彼女の願いとどういう関係を」

なぜか三日月紫苑がこちらを振り返った。その顔が怪訝と言うか不審者を見る目つきというか、とりあえず俺を疑っているかのような雰囲気を醸し出している。

「あなたが描くのは、彼女の肖像画です。痣のない、顔の」
「……つまり、彼女の願う姿を絵に描け、と」
はい、と雲母が頷いた。三日月紫苑はもうこちらを見てはいない。

「けどそれって、根本的な解決にはなってないんじゃ」
「そこで余の登場じゃ!」
つい今し方まで何個目かの大福を平らげていた薊が唐突に声を上げる。
さすがにびっくりして、ローテーブルに臑を打つ。そしてそれを三日月紫苑に笑われる。

雲母は何事もなかったかのように湯飲みを置いて、百乃さんに「ちょっと彼に説明をしますから」と断りを入れた。

「先ほど申し上げました通り、絵の出来映えや作風などは些末な問題です。はっきり言えば絵を描くのは紫苑でもあなたでもまったく構わない」
「じゃあ俺じゃなくても、雲母さんか薊が描けば……」
「阿呆なことを言いますな。これは仕事です。いくら出来映えが関係ないといえど、美しく描かれた絵と素人の落書きと、見たときにどちらがよろしいですか。ここにくる妖は皆、様々なことを胸に抱えております。表面上の問題を解決するだけが仕事ではありません。その胸の内までも晴らしてやるのが役目でしょう」
「……す、すみませんでした」

ちょっとした疑問にものすごい剣幕で返されてしまった。

ただ言わんとすることはわかる。外科手術をすれば済む話ではなく、きちんと相手の心のケアまで行う、ということだろう。そのために絵にも一定の技術は欲しい。たしかに、自分の姿がきれいに描かれていたら、うれしくはなるだろう。

「よろしい。話を戻しますが、絵を描いたあと、本当の意味での仕事を行うのは薊です」
「うむ、余は絵筆のつくも神だからな」

無限かと思われた彼女の胃袋も、ようやく満たされたらしい。モンブランと豆大福、いったいいくつあの小さな身体に入ったのやら。

「薊の由来ははぶきますが、彼女は絵を真実にすることができます」
「すごいだろう、余にかかれば百乃の痣などきれいに消せるのだ」
まるでひれ伏すが良い、といった感じで薊が立ち上がる。誰も相手にしないので、またしても俺が「よくわからんがすごい」と誉めておく。

そのとき百乃さんが、哀しそうに笑った気がした。見間違いかもしれないが、うつむき加減にしているせいで、そう見えただけだろうか。