その恋、記憶にございませんっ!

 一瞬の沈黙があり、やがて、二人とも笑い出した。

「唯……」
と蘇芳がテーブルの上、婚姻届の側にあった唯の手の上におのれの手を重ねてくる。

「俺はまだずっとお前と手をつないで夜道を歩いてるんじゃないのか?」

 まだずっと夢の中を歩いていて、目が覚めていない気がする、と蘇芳は言った。

「そうかもしれませんね。
 でも、今度目を覚ましたら、きっと私は覚えています。

 貴方を好きだと思ったこと」

 見知らぬ貴方と手をつないで歩いて。

 この人を好きだと思って忘れて。

 目が覚めたら、とんでもない口八丁だったこの人に振り回されて――。

「……そうなんですよね。
 そこがちょっと不安なところなんですよ」
と唯は眉をひそめる。

「貴方、口が上手すぎるんですよ。
 だから、つい、この口に乗せられて、騙されてるんじゃないかと思ってしまうんです」
と言うと、蘇芳は、じゃあ、今日は黙っててやる、と言い出した。

 無言で手を広げ、唯を側に呼ぶ。

 いや、自分から来いとか……。