その恋、記憶にございませんっ!

 或る意味、扱いやすいな、と思っていると、前田唯が助手席の窓を叩いてきた。

「すみませーんっ」
と言うので、仕方なく窓を開ける。

「あのー、私、やっぱり電車で行きたいんですが」

「では、駅までお送り致しましょう」
と言うと、ほっとしたようだった。

 早くに家が没落したせいで、庶民的な感覚も持ち合わせているこの姫は、会社にこの大きな黒塗りの車で乗り付けられたくない、と思っているようだった。

 まあ、賢明だな、と思いながら、
「蘇芳様も早くお乗りください。
 会社に遅れます」
と言うと、唯が、ええっ? と後ろを振り返る。

「働いてるんですかっ?」

「いい大人が働いてないとかあるか」
と蘇芳は渋い顔で言っていた。

「遅刻しますよっ」

 呑気にしてるから働いてないのかと思ったと唯は言う。

「俺の出社時間は十時だ」

「重役出勤ですね。
 重役なんですか?」

「莫迦め。
 俺は平社員だ」

 ただのフレックスタイムだと言う。