風薫る

こんな黒瀬君は見たことがない。こんなに明らかに疲れて困っているのに、それでも微笑んでいるなんておかしい。


「告白してくださってありがとうございます。でも、すみませんが、お付き合いはできません。俺は、彼女が欲しくてここにいるのではなくて、読書がしたくてここにいるんです」


その続きは聞くまでもなく「だから帰ってください」だと思うのに、黒瀬君が音を乗せる前に、女の子は必死に口を開いた。


「じゃあ、お試しでもいい!」

「…………ええと」


不安だ。黒瀬君が困っていて、不安だ。


「お試しでもいいの。あたし、絋くんにあたしのこと好きになって欲しい。好きになってもらう自信ある。だから……!」

「すみません、お試しで付き合うのは、ちょっと。ちゃんと好きな人と付き合いたいので」


黒瀬君が弱りきっていて、不安だ。


「じゃあ一日だけデートしよ? 楽しかったらそのまま付き合えばいいでしょ? 今日あいてる?」

「すみませんが、予定がありますので」

「じゃあ明日は?」

「すみませんが、予定がありますので」


黒瀬君が疲れきっていて、不安だ。


傍目から見ていても不毛だと分かるこのやりとりは、いつ終わるのだろう。何度も断り続けている黒瀬君は、いつ解放されるのだろう。


「じゃあ土日は? あいてる日はいつ?」

「すみません」


眉を下げて言葉尻を濁した黒瀬君が、足の陰で固く拳を握っている。


その手が、あまりに強く握りすぎて真っ白になっているのが目についた。